アニメごろごろ

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魔法少女のコスチュームがピンクになった日


ピンクと白で彩られたフリルの付いたスカートに大きなリボンが付いたカワイイ系。大半の人が魔法少女のコスチュームと聞いて思い浮かべるのは、概ね上で述べたものになると思いますが、このイメージは何時頃から定着したものなのでしょうか。

日本の魔法少女の元祖にあたる「魔法使いサリー」では、普段着で魔法を行使しており、魔法少女服と呼べる専用のコスチュームは着用していませんでした。

まあ魔法の国からやってきた便利な魔法を日常的に使う人達が、魔法を使う時に特別な格好をするのは不便で違和感がありますし、こうなるのは当然と言えば当然なのでしょう。超能力者も力を使う時に変な服を着ませんしね。

その次の「ひみつのアッコちゃん」は魔法のコンパクトを用いて、様々な職業に就いた大人に変身する物語。アッコちゃんは魔法で何にでもなれる人ですから、勿論魔法少女服を着用する必要は有りません。一旦魔法少女らしい姿に変身して、そこから大人の姿に変身するなんて面倒な真似はしません。

テクマクマヤコンと呪文を唱え、一瞬でなりたい自分になれます。この「ひみつのアッコちゃん」が視聴者の変身願望を満たして大成功を収めた結果、魔法で変身して成長する設定は魔法少女の基本型として83年の「魔法の天使クリィミーマミ」等に受け継がれました。

魔法少女と呼んでいいのか悩みますが、73年の「キューティーハニー」も成長はしないものの、様々な職業に就いた女性には変身します。あの当時には珍しい戦闘用のコスチュームを着用する作品でもあります。如月ハニーは変身して髪が短くなるあたり、現代の魔法少女と異なる文脈にいますね。

女性が社会で輝ける時代
80年代のぴえろ魔法少女シリーズ魔法少女は、プリキュアみたいな女の子が憧れる存在というよりもむしろ、女の子が憧れる大人に変われる力を持つ存在の側面が強め。魔法で変身すれば「魔法の天使クリィミーマミ」の様に大人気アイドルになれるなど、普通の女の子の手が届かない輝く夢も掴めます。魔法少女の生き方に惹かれているのではなく、大人の生き方に惹かれているというべきでしょうか。

ちなみに当時の魔法少女が王子様に選ばれる時を待ち続けるシンデレラ的な女性と違い、積極的に変身して望んだ夢を叶えるところには、大きな意味があると思っています。

それを語る上で少し話が逸れるのですが、昔の女の子は素敵な男性と結婚する事が大きな夢にありました。まあ結婚願望は現在もあるとは思うのですが、その夢は結婚以外の選択肢を碌に与えない社会が生み出した側面も恐らくあるでしょう。

その為に時代が移り変わり、職業選択の自由を与えられた時代の女の子には、素敵な男性と結ばれる以外の叶えたい夢が次々に生まれるようになります。本人の努力で手が届く夢が増える。そうした時代を生きる女の子は多少の苦労を伴うとしても、自分の力で夢を叶えたいと思えてきます。

85年に制定された男女雇用機会均等法と同じ年に放送された「魔法のスターマジカルエミ」では、最終的に香月舞が便利な魔法を放棄して、ドラえもんの道具に頼らないのび太の様に自分の力で夢を叶える方向に向かいました。この結末は将来的に社会で活躍する女の子を応援する意味で素晴らしいなと思っています。魔法を使わないまま女の子は夢を叶えていける。


話を戻して「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」の系譜に連なる魔法少女が流行した影響も受けて、魔法少女服が不要の時代は長く続くのですが、その間の作品も魔法少女服と無関係とは言い切れません。

魔法の妖精ペルシャ」や「魔法のプリンセスミンキーモモ」は魔法少女服を持たない代わりに、服や髪は女の子が好きなピンクや水色で塗られており、そのカラーリングには現代の魔法少女像の片鱗が感じられます。細い糸でも今に繋がるものはありました。

それにしても魔法少女アニメを流行させた両作品の原作者が、あの「鉄人28号」の横山光輝先生と「天才バカボン」の赤塚不二夫先生と聞くと何だか妙な感じもします。

けれども落ち着いて考えてみれば、男の子の物語と近しいところがある「アタックNo.1」や「美少女戦士セーラームーン」は反対に作者が女性ですし、男性が女の子に向けた物語で巨大ジャンルを築き上げてもおかしくはないのかも。

それにしても、昔の大人気漫画家は掲載誌を選ばないですよね。今で言えば「ワンピース」の尾田栄一郎先生が、少女漫画誌に呼ばれて書かされるような事が普通に起きます。


美少女戦士から魔法少女
長年続いた魔法で大人に成長する作品は「魔法少女マジカルエミ」で一段落付き、その後は「魔法のアイドルパステルユーミ」が放送されますが、大人に変身しないのが悪いのかサービスシーンが悪いのか、いまいち人気が振るわず打ち切られてしまいます。それからは「ひみつのアッコちゃん」と「魔法使いサリー」のリメイクが始まり、魔法少女の歴史は細々と続いていきました。

その先の見えない魔法少女の歴史の転換点となる作品が、世界中で愛される「美少女戦士セーラームーン」。これ以降の魔法少女は専用のコスチュームを次々に着用するようになります。

美少女戦士セーラームーン」が後世の作品に与えた影響は大きく計り知れませんが、これが現代の魔法少女像と一致しているかと言えば、少なくともコスチュームに関しては似ていません。何しろセーラー服の戦士ですからね。


80年代の大人に変身する魔法少女と違って、セーラー戦士は変身しても背が伸びなければ、髪の色も全く変わらない所為でコスプレ感はあります。これでも正体がバレないところに驚きを隠せない。電波人間タックルやアンドロ仮面の様に顔を隠す人は、「美少女戦士セーラームーン」においてはタキシード仮面くらいしかいません。

正体不明の正義の味方でありながら、顔を隠す気が微塵も感じられないのは、彼女達の変身が「メイクアップ」の決め台詞から分かる通り、化粧の延長にあるからなのでしょう。変身後の美貌は周囲に見せる為にある。男の子の変身とは方向性が明確に違います。

化粧をするのが女の子、化生になるのが男の子。「うしおととら」も「NARUTO」も「BLEACH」も主人公は力を手に入れた代償に、理性を無くして狂暴な化物に変貌します。男の子の物語における変身は美しいものではない場合が多くて「仮面ライダー」も敵組織の改造で与えられた化物の力で戦います。基本的に力は善にも悪にも転じる危険と隣り合わせ。

ウルトラマン」も光の国から僕らの為に来てくれますが、沢山の地球人を守る裏で悪逆非道と言えない宇宙人を幾度も犠牲にしてきました。正義の味方であろうとしても、ふとした拍子に道を踏み外してしまう。

出発点の動機が善なるものでも、行為が善なるものとは限りません。男の子の物語に英雄が手を汚す傾向が見られる背景には、人を守る為に人の命を奪う男性の戦争の歴史が関係していそうではあります。

個人的に上で述べた力の捉え方は、闘争から遠ざけられた女の子の物語では少ない気がします。魔法少女は魔女という忌み嫌われた存在を起源に持ちながら、今では聖なる者として扱われていますし、力を使い過ぎて命を削る事はあるものの、闇に堕ちる事は殆んどありません。

だから「魔法少女まどかマギカ」で人々に希望を与える魔法少女が、呪いを撒き散らす魔女になると抵抗感を抱く視聴者も出て来たりするんですよね。魔法少女はそういうものではないと。

雑談が長くなりましたが、そろそろ話を進めましょう。「美少女戦士セーラームーン」以降のアニメでは敵と戦うヒロインは増加の一途を辿り、「赤ずきんチャチャ」でも「愛天使伝説ウェディングピーチ」でも戦闘用のコスチュームが与えられていました。

ただし両作品とも肩にアーマーを装着するなど雰囲気は戦士的で、現代の魔法少女服の原型とは言い難いものでした。「とんでぶーりん」も変身して全身がピンクに包まれはしますが、その格好は誰が見てもスーパーマンにしか見えません。


それでは今に繋がる魔法少女らしいコスチュームを最初に披露した作品は何か。魔法少女のコスチュームの定義の仕方で諸説あるでしょうけれど、ここでは95年に放送された「ナースエンジェルりりかSOS」を挙げておきます。

ナースをモチーフにしたピンクと白のコスチュームは、過去の作品と比べても非常に魔法少女っぽいものではないでしょうか。ちなみにナースは傷付いた人々を看護する役割上、正義の使者に変化した魔法少女とは相性が良いのか「ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて」にも使われたモチーフです。

そして数多の魔法少女の私服や「ナースエンジェルりりかSOS」のピンクと白のコスチュームを不思議に可愛く発展させ、ファンシーな魔法少女服として世間に広めた作品が「カードキャプターさくら」にあたるのだろうと思います。

多分、知名度的に魔法少女のイメージをここから持って来ている人は多い気がするのですが、桜自身はピンクと白のコスチュームを頻繁に着ていないのは興味深いところ。


現代の魔法少女らしいコスチュームはOPで毎回着ているから、視聴者の記憶に残りやすいだけ。本編では友人が自作した衣装が大量に用意されていて、着せ替え人形的に赤、青、黄と戦闘する度に変えられているんですよね。ピエロ風、悪魔風、戦士風のコスチュームも見かけます。スカートですらないコスチュームも複数ありますし、もしもOPに登場するコスチュームが違っていたら、魔法少女全体の未来が変わる事も有り得たかもしれません。

それにしても「カードキャプターさくら」はスカートのフリルが素晴らしいですよね。アニメ化を前提に生み出された魔法少女ではないからこそ、コスチュームを細部まで作り込めたのはあると思います。アニメ化を前提にコスチュームを作り出す場合、どうしてもアニメーターの負担を考慮して楽に描けるデザインを意識してしまいますから。

特にデジタル化による作業時間の大幅な短縮が行われていない時代はそうなりやすい。「カードキャプターさくら」と似た様なコスチュームが過去に現れない理由には、作画に掛かる労力の問題も大きかったのではないかと想像しています。


魔法少女のコスチュームは上で述べた洋風魔法少女が主流になるのですが、それと並行して巫女をモチーフにした和風魔法少女というのもあります。具体的には「魔法少女プリティサミー」や「神風怪盗ジャンヌ」や「装神少女まとい」。初登場は「ナースエンジェルりりかSOS」より前になります。

巫女らしくコスチュームに占める赤と白の割合は高め。和風魔法少女と洋風魔法少女のコスチュームは各々出自が異なるので、カラーリングは偶然の一致なんですけれども、それにしては綺麗に重なりました。


魔法少女を守り続けた者達
カードキャプターさくら」時代に生まれた魔法少女服のイメージは、今日に至る迄に劇的な変化は見られません。昔と今の作品で違う点は多々ありますが、共通するところもまだまだあります。これは地味に凄い事なのではないでしょうか。

基本的にクリエイターは流行を意識しながらも、他所の作品と異なる独創性を追い求めますからコスチュームのデザインは細分化するもの。その中から生まれたファッションリーダー的な存在が流行を塗り替え、そこからまたクリエイターが部分的に模倣して差別化を繰り返す為に、デザインのイメージを20年も守り続ける事は難しいです。

例えば80年代に流行した「聖闘士星矢」や「鎧伝サムライトルーパー」や「ドラゴンボール」のアーマー類は、00年代に入る前には人気を得られず姿を消しました。それと同じ事が魔法少女服に起きてもおかしくはないでしょう。ところが「マーメイドメロディーぴちぴちピッチ」や「ふしぎ星のふたご姫」等の作品を経て、魔法少女服は今日まで継承されてきました。

魔法少女服のイメージを一定に保ち続けた最大の功労者は「Yes!プリキュア5」以降も10年以上続くプリキュアになるでしょうけれど、その他に影から魔法少女のイメージを守り抜いた邪道系の魔法少女の活躍も忘れてはなりません。魔法少女の定石を外して注目を集める「大魔法峠」や「魔法少女まどかマギカ」や「魔法少女プリティベル」や「魔法少女俺」。

魔法少女のイメージをグロやギャグで破壊する邪道的な作品は、魔法少女の天敵に思えるかもしれませんが、女の子らしいコスチュームや愛らしいマスコットを出したり、基本に忠実な部分も結構あるんですよね。上記の作品が果たした役割は大きいと思います。


細部を基本に忠実にして、正統派魔法少女の雰囲気を漂わせてこそ、定石を外した時の衝撃も増すというもの。仮にあらゆる部分を魔法少女のお約束から外して、黒服の大剣で怪物と殺し合う大男のストーリーにしたら、それはもう魔法少女でも何でも無くなり、意外性による面白味もまるで生まれなくなるので、邪道魔法少女は見せたい部分を除いて正統派に似せてきます。そういう意味で邪道魔法少女は、典型的な魔法少女像を大切にしていると言えます。

魔法少女なのにマッチョ、魔法少女なのに殺し合う、マスコットの腹が黒い。魔法少女のお約束を覆す描写に対して「こんなの絶対おかしいよ」と作中で指摘する事で、魔法少女のイメージを損なわせるどころか、逆に理想的な魔法少女とはこうあるべきというイメージを浸透させる。

裏の裏は表。21世紀に突入してアーマーやバンダナが廃れる中、20年も愛され続けた魔法少女服。そのデザインを一定に維持してきたのが、魔法少女の幻想を解体する「魔法少女まどかマギカ」等の異端の作品という構造は面白い。

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