アニメごろごろ

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「Fate/stay night Heaven's Feel」劇場版で描き出された間桐慎二の抱える苦悩


Fate/stay night」の3ルートの中で最も長い「Heaven's Feel」。これをテレビアニメの2クール分にも満たない全三章で映画化すると聞いた時には不安を抱きましたが、須藤友徳監督の作り上げた第一章を鑑賞して不安は完全に消えました。

平凡な監督なら原作の魅力を削がないようにするだけで精一杯になると思いますが、桜研究家の須藤監督は中学時代の桜が士郎と関わり心を開く過程、クズにしか見えない慎二が士郎に抱く複雑な感情、そこに注力して原作の魅力を倍以上に膨らませてくれました。

上映時間の制約から原作を相当に圧縮し、必要に迫られ省略した箇所も多々あるはずなのですが、士郎の人間関係に関してはむしろ情報量が増えたように感じられました。この奇跡を可能にする上で「Unlimited Blade Works」と「Fate/zero」のアニメが果たした役割は非常に大きい。上記作品が無ければ今回の「HF」もあそこまでの作品に仕上がることは有り得なかったでしょう。

「UBW」が全ルート共通の士郎が聖杯戦争に巻き込まれセイバーを召喚する迄を補完、「ZERO」が桜ルートで語られるイリヤと切嗣の境遇や人柄を補完。それにより「HF」第一章の核となる壊れゆく日常の日常とは何なのか、その点を丁寧に描写する時間を作り出しました。


原作で語られない事件の全貌
劇場版の見所となる追加シーンと変更シーン。冒頭の士郎が慎二と桜と関わるシーンが魅力的であることは言うまでも無いですが、真アサシン対キャスターのシーンも見事な出来でした。原作はノベルゲームの構造的に主人公の主観で語られやすく、それ故に脇役に起きた出来事を描写しない傾向があり、キャスターに何があったのかも触れられいませんでした。原作で明かされたのは柳洞寺に訪れた士郎とセイバーが、血に濡れたルールブレイカーを持つキャスターと何者かの手で無惨に殺された葛木を目撃したことのみでしたが、劇場版は事件の裏側まで具体的に描いてくれました。

真アサシンに葛木を人質に取られて脅されたキャスターが、自分の身体にルールブレイカーを突き立て、真アサシンに対する支配権を放棄する。この構図は「UBW」でキャスターが士郎と藤村先生に対してしたことと奇しくも同じですね。但しあちらと異なり、真アサシンは素直に命令に従ったキャスターと葛木の命を見逃しません。敵を生かしても得が無いと判断すれば、息の根を確実に止める。時間にして5分あるかないかですが、キャスターの葛木への愛の深さ、真アサシンの冷徹さが伝わるシーンでした。

劇場版は追加シーンが多いですが、変更シーンはさらに多くあり、真アサシン対ライダーも原作と違いました。劇場版ではライダーが士郎を助けるのは臓硯が去った後なので、必然的にライダーは臓硯から「ワシに逆らうか」と言われることも有りません。この辺の台詞が丸ごとカットされたおかげでテンポが良くなり、観客は自然と意識を迫力ある戦闘に集中するようになります。

ちなみに臓硯の台詞が無くなる影響でライダーが敵か味方かさっぱり分からなくなるので、劇場版の士郎は敵であったライダーを警戒して武器を構えるようになります。改変により起きる違和感を消す為の更なる改変。こうした辻褄を合わせる仕事が細部まで行き届いていましたね。大半のアニメは原作と比較して足りない点が多く、色々と不満が出てしまうものですが、劇場版は原作を知る人ほど感動する完成度。この域に達する作品は1割にも満たないでしょう。

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原作の魅力を引き出した見事な改変
劇場版は物語の見せ方がよりドラマチックに作り替えられている。原作を再プレイしてその事に気が付かされました。その最たるものはラストシーンの雪が降る中で士郎を待ち続ける桜。寒さに耐えて肌を赤くしながら、大切な士郎を迎える姿に胸を痛めた方は沢山いたことでしょう。観客の心に強く刻まれたこちらのシーンですが、原作では雪が降らない上に桜は家の外に出て来てきません。

家の中で待ち続けるだけなので、真冬で気温が低いとはいえそこまで辛くはない。劇場版の方が桜の忍耐力と士郎への愛情を伝える意味では魅力的でした。上記シーンに限らず演出に関しては、表現の幅が広いアニメに分がありますね。

原作は10年以上前の作品であり、技術や費用の都合でシーンに合わせて背景や天候や表情を細かく変える余裕は持ちません。ノベルゲームらしく演出を使い回しに頼る為に、物語が秘める雰囲気を十分に出し切れない部分があるのですが、今回の劇場版はそれを様々な分野のプロフェッショナルの力を結集して引き出しました。

須藤監督程の原作愛が深い作り手であれば、1から10まで原作に忠実に作ってしまいそうなものですが、須藤監督はその様な真似は行わず見事に映像化してくれたと思います。この人であれば「HF」を原作を圧縮しただけのダイジェストアニメに陥らせず、全三部作の映画として綺麗に完結させてくれることでしょう。


加害者であり被害者でもある間桐慎二
さて劇場版の功績を語る上で欠かせないもの。それは慎二が士郎に向ける複雑な感情を観客に伝えたことにあります。アルバムに残された仲が良い頃の士郎と慎二の写真、弓道部に入部して士郎の腕前を見た時の慎二の表情。「UBW」の視聴者を笑わせる小者の癖に態度は大きい道化として描かれた慎二から一転、「HF」の慎二は観客が感情移入する一人の人間として描かれていました。第一章のテーマは壊れてゆく日常でしたが、その対象には士郎と慎二の関係も含まれています。

劇場版で深く掘り下げられた弓道部員にいた頃の士郎と慎二。士郎の腕前を目の当たりにした慎二の表情は真剣であり、そこには劣等感とは異なる色が含まれていました。慎二は士郎をライバルとして認めていた部分もあるのでしょう。

何時の日か士郎を追い越してみせる。弓道の才能を活かしてライバルである士郎を超えることは、間桐家で無価値な慎二にとって唯一の充実感を得る道だったかもしれません。そんな時に士郎がアルバイトで負った怪我を理由に弓道部をあっさり辞めてしまう。

慎二にとってはそれなりに大切な居場所であろう弓道部に対して、士郎は愛着も未練も見せずに立ち去ります。自身の幸福を追求せず正義の味方に憧れる士郎の目には、弓道部は決して離れたくない居場所にはなりえないんですよね。弓道自体は好きだけれど、弓道部には興味を持たない士郎。その態度は弓道部にいた人達を否定したとも取れます。慎二の立場を考えると心が痛みます。

原作で明言はされていないはずですが、慎二が弓道部に入部した理由は恐らく士郎がそこにいたから。士郎は以前は相撲をしていたのですが、例の自分にだけは負けられない精神が発揮されてしまい、相手に勝つという自分に課した試練を乗り越えるまで勝負を挑み続けていたんですよね。

しかしそれは士郎に付き合わされる相手に迷惑が掛かる為、代わりに一人で行える弓道を勧められる経緯がありました。この出来事が士郎が弓道部に入部した背景にあり、そして友人の慎二が弓道部に入る切欠にもなっていたと思われます。

慎二が弓道を始める原因を作り出した士郎不在の弓道部、そこに残された慎二は弓道を何の為に続ければいいのか。性格は似ても似つきませんが、「響け!ユーフォニアム」の鎧塚先輩を思い出しました。

さて、慎二が虚しさを感じている間に弓道部を辞めた士郎はというと、桜と家族も同然の付き合いをしていました。これは慎二のプライドを酷く傷つけるには十分な出来事。慎二は間桐の後継者になれない代わりに、魔術師として優秀な桜の優しく頼れる兄を演じることにより、自分は無価値では無いのだと信じ込んでいました。

それが己の心を守る砦だったのですが、その役割は士郎に簡単に奪い取られました。慎二は基本的に天才肌で異性にも好かれますが、本当に欲しいものは手に入らない星の下に生まれており、妹の桜を士郎に奪われ、友人の士郎を桜に奪われてしまいます。

慎二が士郎や桜から相手にされなくなる屈辱に耐えて耐えて手に入れたライダー、それを士郎が連れたセイバーに一撃で倒された時の表情は忘れられません。聖杯戦争に参加して全能感に酔い痴れるも即敗退。魔術師として華々しく活躍する理想の世界を一瞬で壊され、道を踏み外さない人間はどれ位いるでしょうか。

必要以上に劣等感を抱く慎二に問題があると言われたら、それは事実である為に否定は出来ませんが、彼の境遇を深く知るとクズの一言では済ませられないものはあります。あそこまで家族に無能と思われ続けて性格が歪まない方がどうかしています。

それにしても慎二が数年前まで士郎と桜に向けていた感情を見ていると、どうして「HF」があの様な結末を迎えてしまったのかと嘆かずにはいられません。慎二が生き延びる「UBW」において慎二を倒したマスターは士郎ではなく葛木でしたが、それによって慎二が救われていたところはある気がします。

もしも「UBW」でも慎二が士郎に倒されていたら、死ななくても心に深い傷は残してしまいそうです。第二章では士郎に負けて心に傷を負った慎二が壊れる姿が描かれますが、それを想像すると気が重くなります。

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