アニメごろごろ

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「魔法少女まどか☆マギカ」視聴者を惹き付ける脚本の理想形

魅力的な物語。それはジャンルや対象年齢や時代毎に変化するものであり、定義が曖昧故に作者が計算して意識的に生み出せるものではありません。何が正しいのか分からないからこそ、作者は物語の作り方に悩んで筆が止まる。絶対に大勢の消費者に支持される魅力的な物語の書き方はこの世に存在しませんが、それでも魅力的な物語の書き方を答えろと言われたら、それは「魔法少女まどか☆マギカ」にあると答えます。

作品の成否は時の運に大きく左右されてしまいますが、「まどかマギカ」は偶発的な要素の影響を受けずに安定して支持される物語の構造を持ち、この作品と同じ事が出来れば失敗する可能性は大幅に下げられます。個人的にはそう言える程に優れた点を内包した傑作でした。


ジャンルのお約束を破り続ける

衝撃的な展開で視聴者の心を奪う

謎があると仄めかし先の展開を気にさせる

二度目の視聴で新たな発見を与える

キャラのドラマを積み重ねて繋げる

問題の解決方法に説得力を持たせる

上記の全てを短い話に詰め込む


ジャンルのお約束を破り続ける
魔法少女ものといえば主人公の女の子が魔法少女に変身して、愛らしいマスコットと共に人々を守る為に戦う話と世間に認識されていますが、「まどかマギカ」はその逆を行き主人公は最終回まで変身しませんし、マスコットは悪魔の様に契約を持ち掛け魔法少女を食い物にし、魔法少女は自分が生き残る為に人々を食べて成長した魔女を殺します。

この様な視聴者がそのジャンルに抱いている印象を壊す手法は注目を集める際には効果的、敵対関係にあるはずの魔王と勇者が手を組み経済を操る事で世界を変える「まおゆう」もその手法で成功を収めました。作者が無から有を生む事が難しいように、視聴者も無から有を知る事は難しい。誰も見た事が無い楽しみ方が分からない作品よりも、広範に知られる物語の類型から僅かにずらした作品の方が、見所が明確で人目を惹きます。

お約束を逆手にとる手法は強力な反面、先陣を切らなければ意味が無く、二番目になるとパクリと呼ばれてしまうので扱いは難しい。「まどかマギカ」はお約束を外した魔法少女ものが魔法を使わずに殴る、男の子が変身する魔法少女などギャグに集中していた時代に放送したおかげで斬新に感じられましたが、今の時代に放送された場合は注目度が半減していたでしょうね。この作品は「エヴァンゲリオン」と同様に時代の最先端にいた故に評価された部分は大きいと思われます。


衝撃的な展開で視聴者の心を奪う
マミがシャルロッテに頭から噛み付かれ死亡、魔法少女の本体はソウルジェムで肉体は契約と同時に死ぬ、魔女の正体は魔法少女の成れの果て、ほむらは魔法で何度も同じ時を繰り返していた。アニメでは3話かけても話が一向に進まない作品もありますが、「まどかマギカ」では3話に1回は視聴者の度肝を抜く衝撃的な展開が訪れます。

娯楽作品が次々に生まれる現代社会において、視聴者は退屈な展開を見せると他所に流れてしまうので、そうならない為にも1話あたりに込める情報の量と質が重要。「コードギアス」と「まどかマギカ」はこの点が優れていました。お約束から外した上で衝撃的な展開を入れる事に成功すると、口コミで爆発的に作品の評判が広がります。


謎がある事を仄めかして先の展開を気にさせる
衝撃的な展開を生み出す場合は先を読ませない為に、様々な情報を伏せる必要があります。しかし情報を伏せ過ぎると物語がどの様な方向に進むのか分からず、視聴者が作品に対して興味も期待も持ちません。

そこで「まどかマギカ」では先が気になるようにほむらとワルプルギスの夜が戦う姿を夢の中で目撃、ほむらがまどかに契約して自分を変えようとしてはならないと忠告、まどかとほむらの関係に重大な謎が隠されていると視聴者に伝えました。

視聴者に先を読ませてはならないけれど、視聴者に先が気になるようにしなければならない。「まどかマギカ」はそうした情報の開示の仕方が絶妙な作品で、意味深な台詞が1話から大量に仕込まれていました。


二度目の視聴で新たな発見を与える
ほむらの正体が明かされた10話。この回は普通のアニメが何話も費やして描いている内容を詰め込んだ事も凄いのですが、それに加えてこれまでの話の見方を一変させる事が本当に凄い。

この話を視聴した後にはほむらが自分の忠告を無視するまどかに「どこまであなたは愚かなの」と口にする時にどれ程の辛い想いをしているのかも感じ取れます。割愛しますが「まどかマギカ」には初見で気が付かない点がとても多いんですよね。

キュゥべえのキャラを理解した後では如何にあれが嘘を付かずにまどか達を言葉巧みに騙そうとしているのかも分かる。最初に視聴した時と全体像を理解した後に視聴した時の最低でも二回は楽しめる構成は見事。


キャラのドラマを積み重ねて繋げる
メインキャラ全員が視聴者に好かれるように見せ場を均等に用意するだけでも十分に難しいと思いますが、あるキャラのドラマが別のキャラのドラマと密接に絡み合いながら、最終的に大きな物語に収束する場合の難易度はさらに数段上。これが下手な作品は個々の話は魅力的でも、全体を通して見ると散らばり過ぎて何がしたい作品なのか伝わりませんし、最終回でカタルシスが得られないんですよね。

まどかマギカ」はそのキャラのドラマの絡ませ方が上手く、メインキャラには誰が欠けても物語が成立しない位に重要な役割が与えられていました。中でも他者の為に魔法を使う決意をしたさやかと自分の為に魔法の力を使う決意をした杏子の存在感は圧巻、両者の対立は主人公のまどかと物語の鍵を握るほむらに匹敵する程のドラマを持ちます。

さやかはマミの後を継いで正義の魔法少女を続けても自分が報われない事に途中で気が付いていましたが、そこで杏子の様に自分の為に魔法を使う事を拒否して人々を守る道を進み続けた結果、最後は精神が限界を迎えて魔女化してしまいます。

さやかの選択は愚かな行為にも見えますが、正義の魔法少女を続けた不器用な生き方が、利己的に振る舞う杏子の心を溶かして、さらにはまどかに魔法少女が絶望して魔女にならない世界を創造する決意をさせます。マミ、さやか、杏子、ほむらの行動が連鎖的に周囲に影響を与え続け、それがまどかの決断に結び付いて昇華される様は本当に美しい展開でした。


問題の解決方法に説得力を持たせる
主人公が問題を解決する場面は物語の山場、そこの見せ方は評価を大きく左右するのですが、世の中にはハッピーエンドにしようとするあまり、その場の勢いで困難を乗り越えてしまう作品が見られます。「グレンラガン」みたいに己の限界を突破する気概が不可能を可能にする力を与える作品ならまだしも、そうした設定が無い作品でそれをやるとご都合主義に感じられて冷めてしまいます。

結城友奈は勇者である」は好きなんですけど、最後の問題の解決の仕方が惜しい作品でした。この作品は戦う度に神樹に身体の機能の一部を捧げる残酷な設定なんですけど、捧げた視覚や味覚が最後は理由も無く戻るんですよね。神樹がそれらを別の対価も求めずに返せるのであれば、東郷達はあそこまで苦しむ必要は無い訳で、結果的に神樹の性格が悪い風にしか見えませんでした。「まどかマギカ」はその様な事態に陥らずに解決は前々から張られていた伏線を回収して行われました。

ほむらがまどかを助ける目的で彼女を軸に時間を巻き戻した影響で、まどかに因果の糸が絡み付き魔法少女の素質が増大し、その所為でまどかはキュゥべえに契約を迫られますが、魔法少女の素質が向上したおかげで世界の法則を書き換えて魔女化を阻止する壮大な願いが叶う。この辺は設定に無駄が無くて感動します。


上記の全てを短い話に詰め込む
上記の内容は多かれ少なかれ、大抵の作品は部分的に描いているものなんですが、上記の全てを1クールの短い話に収めた作品は非常に少ない。通常は何かを選ぶには何かを諦めなければなりませんが、そこで諦めずに両立が不可能と思える要素を詰め込み、作品の魅力を可能な限り増やした「まどかマギカ」。それだけ詰め込みながら視聴者を置いてきぼりにしない脚本は見れば見る程にその完成度に驚かされます。