アニメごろごろ

楽しんで頂けたらツイートなどしてもらえると喜びます。

1クールのアニメにおける限界は原作小説の何冊分

「展開が早くて意味不明」

「展開が遅くて退屈」

物語の展開が早すぎても遅すぎても視聴者は不満を抱きます。原作が漫画やラノベのアニメは視聴者の見る目が特に厳しく、脚本家が最善を尽くしても原作と比べてあれやこれや否定的な意見は視聴者から出てしまうもの。万人を納得させる脚本を書ける人間がいないことを理解はしているので、脚本に対する多少の不満は飲み込んで受け入れようとはしていますが、それでもやはり許容範囲を越えて文句を言いたいアニメは出てきます。

最近のアニメで不満を強く感じたのは「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」。たった1クールで原作小説の5巻まで進めるなんて無謀としか言えません。スタッフはその無茶を視聴者が見れる形に直そうと、OPとEDのカットや台詞と台詞の間の短縮で対処していましたが、それでも尺が足らずに脚本は粗が目に付く出来になりました。あんなに詰め込んで脚本が破綻しない訳が無いと思うのですが、ラノベアニメにおいてこの様な悲劇は繰り返し起きてしまいます。その作品数は数えるのを諦める程。

原作小説の区切りのいいところまで進めたい、人気の高そうなキャラが活躍するところまで進めたい。そうした思惑で上の方の人達はハイペースでアニメを進めたがるのでしょう。確かにそれはそれでアニメを作る上で大切なことではあるんですよね。最終回が盛り上がる方が原作小説を手に取り続きを読む気が起きるので、大きな山場を迎える巻まで無理してでも進める意味はある。

物語を進めて登場するキャラが増えればグッズ展開は捗りますし、新しいキャラの登場は原作を知らない視聴者の興味を引けます。ラノベでは「SAO」のシノンや「デートアライブ」の狂三や「俺修羅」の冬海愛衣、後の方から遅れて登場するヒロインがメインヒロインに匹敵する人気を獲得する作品も少なくないので、新しいキャラを登場させる効果を軽視するのも宜しくない。

キャラの人気は基本的にドラマを積み重ねて視聴者に感情移入させて愛着を持たせることで生まれるものですが、初登場時の言動や外見から受ける雰囲気だけで決まる場合も結構な頻度であり、個々のドラマを薄めてでも物語を進めて沢山のキャラを登場させた方が、商業的に成功を収める時もあります。

原作読者的にも待ちに待ったアニメで喋り動くキャラが増えることは喜ばしい。アニメでの出番が僅かしかないとしても登場さえしてくれれば、それ以降は脳内でアニメを元にイメージを膨らませて映像化しながら原作小説を読めます。

話を戻して「ロクでなし魔術講師と禁忌教典」が無理に5巻まで進めた理由ですが、それはキャラの人気より物語の区切りを重視した為と思われます。5巻は魔術で人を殺してきた主人公のグレンの過去に触れ、彼がメインヒロインのシスティーナを敵と奪い合う巻でした。

この作品は設定的にサブヒロインのルミアの方が事件の中心にいることが多く、システィーナがメインヒロインらしい存在感を発揮しない作風であり、視聴者にそう思わせない為にもスタッフは彼女が事件の中心にいる5巻まで進めたかったのでしょう。しかしその所為でカットされたシーンの数は知れず。

これで得をする人は一体どれ位いるのでしょうか。もちろんアニメを楽しんで見ていた視聴者は沢山いるでしょうけど、度が過ぎたカットは原作読者から反感を買いやすく、円盤の売上に悪影響を与える気がしないでもない。アニメ化の範囲を変えたとしても売上が伸びるとは限りませんが、1クールで5巻や6巻まで描いたアニメの成功事例が少ない現実を見ると止めた方がいいとは思います。個人的にはアニメの範囲はリィエルの生い立ちが語られる4巻までで十分でした。

これがラブコメであれば1クールで5巻まで詰め込めますが、同じ事をバトルファンジーでやるのは自殺に等しい。消費が追い付かない程に大量の作品が作られる現代社会において斬新な物語なんてそうそう出てくる訳は無く、世に出る作品の大部分はキャラの性格や能力の設定など物語の枝葉的な部分で差別化をしています。

そんな状況で物語を急速に進めた代償に異能力の理論や主人公達の動機が説明されなくなれば、ただでさえテンプレでありきたりの展開と批判を受けやすいラノベアニメが、今以上に批判される光景は容易に目に浮かびます。

魔法科高校の劣等生」も「ナイツ&マジック」も魔法やロボットの原理に関する説明が一切行われなければ、主人公が俺TUEEEしているだけのありふれた作品と揶揄されてしまうでしょう。カットしまくれば「リゼロ」も「このすば」と同じ引きニート異世界で面倒な性格のヒロイン達に囲まれながら、何度も死んで生き返る話と言えなくもない。流行に敏感で似た様な作品を増やすラノベにおいて、枝葉を切り落としてしまうのは極めて危険。

ナイツ&マジック 7 (ヒーロー文庫)

ナイツ&マジック 7 (ヒーロー文庫)

トルファンジーによくある人の生死に関わる重たい話も「リゼロ」のようにキャラの内面の変化を丁寧に描いていれば視聴者の心に強く響きますが、逆に内面の変化を雑に描いてしまうと物語から現実感が失われて感情移入を大幅に阻害してしまいます。

王道とベタは紙一重、下手なシリアス以上に視聴者が白ける展開は無く、そこの演出の仕方が傑作と駄作の別れ道になる。その調整が絶妙であったのが「落第騎士の英雄譚」。もしもアニメが3巻ではなく4巻まで映像化していたら、無理が生じて原作読者から高評価を得る事も無く幕を閉じたかもしれません。

「落第騎士の英雄譚」の絶妙に改変された脚本はアニメ化の理想形 - アニメ見ながらごろごろしたい

トルファンジーはカットすると悲惨な出来になりやすいのですが、それと比べればラブコメは幾分か作りやすそうですよね。ラブコメのコメディパートは言うなれば物語上の線ではなく点、カットしても物語を理解する上では支障がありません。

原作小説に書かれた質の高いネタを積極的に使用、ページ数を稼ぐ為の微妙なネタをカットすれば、アニメは破壊力のあるネタが連続することになり、原作小説より魅力的な作品に仕上げることもありえます。「俺ガイル」の場合は地の文で書かれた大量のパロディを削減したおかげで、信じられない速度で物語を消化して1クールで6巻まで詰め込む快挙を成し遂げました。

この様にジャンルによる差もあり、一概に1クールで何冊まで進めるのが正解は言えません。「氷菓」みたいにミステリー要素が含まれる作品であれば、視聴者に謎を解く為の情報を提供しなければならないので、バトルファンジーよりも丁寧に物語を進める必要があるでしょう。確率的にはジャンルを問わず1クールで3巻まで描くのが無難で失敗も少ないとは思いますが、何でもかんでも3巻までを忠実に再現すればいいかというとそうでもない。「六花の勇者」や「アルデラミン」や「魔法少女育成計画」はその点が明確に意識されていました。

原作小説の本質を押さえた改変が行われた「天鏡のアルデラミン」 - アニメ見ながらごろごろしたい

魔法少女育成計画」は1クールで1巻と非常に進行速度が緩やかで、それ故に退屈に思える場面もありましたが、この判断は今でも正しかったと思います。この作品は原作小説の段階で既に10名を越える魔法少女達が殺し合う壮大な物語を1巻に収まる様に圧縮しており、仮にここで上の方の人達がアニメでは1巻の内容を3話に纏めたいなどと変な事を言い出した場合、アニメは圧縮に次ぐ圧縮で原作読者以外には内容が殆んど伝わらない悲惨な結末を迎えていたところ。監督かプロデューサーか分かりませんが、決定権を持つ人が作風に応じて柔軟に対応するタイプで助かりました。

全てのアニメが上記の作品と同じ位に物語の構成を考えて作られているといいんですけどね。本当にどうしてそうなってくれないのかと「魔法戦争」を見ていると心の底から思います。バトルファンジーなのに1クールで6巻までアニメにするなんて、天才的な脚本家を連れて来てもどうにもならない。アルデラミン風に言うなら約束された敗北へと向かう物語。

作画や演出は年々向上しているというのに、脚本は一向に改善される気配が感じらません。こうなってくると残念な脚本を作らせない為には、原作者が3巻の執筆を進める時期からアニメ化を視野に入れて、1クールのアニメと相性が悪い5巻近辺に山場を用意しない他に道は無さそう。

原作者に全く非はありませんが、「魔弾の王と戦姫」のアニメが不評な原因はその辺の意識が弱かったからですよね。原作小説の第一部が5巻で綺麗に終わるから、ついついアニメもそこを終着点に選んでしまう。アニメ化を配慮して執筆しろなんて自分でも現実味に欠ける発想だと思いますが、とりあえずこうしておけば無茶苦茶な脚本が書かれる可能性は減らせるでしょうね。

taida5656.hatenablog.com
taida5656.hatenablog.com