アニメごろごろ

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過酷な運命を受け入れ乗り越える大高忍作品

生まれが全てを決める厳しい現実
本人の努力だけでは埋めることの出来ない差というものが大高作品では度々描かれます。「すもももももも 地上最強のヨメ」では武術家として弱い家系に生まれた猿藤優介は血の滲むような努力を幼少期から続けてきたおかげで強くなれましたが、優秀な家系に生まれた犬塚孝士はたった数年の努力で優介を凌ぐ強さを手に入れてしまいます。

同じ血を引いていても才能の差というものはあって、あまり武術の才能に恵まれなかった虎金井天下は類稀なる才能を持つ弟の天智には何時まで経っても勝てません。このように生まれ持った才能の差は簡単に努力だけで埋められるものではありません。

「マギ」でも同じように生まれによって埋めようのない違いがあることが描かれていて、これが最初に示されたのはバルバッド編のカシムとアリババの話ですね。屑な父親の血を引いているただのスラムの住民でしかないカシムと立派な母親を持ち王族の血を引いているアリババ。幼少期は同じような生活を送ってきたのに生まれが違うというだけで、その後の人生は全然違うものとなってしまいます。それは本人の努力では抗うことの出来ない運命によって決められています。

カシムはそのことを許せず、アリババはそのことを悲しいと感じました。自分と他人との間には埋めることの出来ない違いが存在するので、対等な関係になることは出来ません。少年漫画であれば努力すれば大抵のことは何とかなりますが、この作品はそうした甘い幻想を抱かせません。

この世界の残酷さは読み切り作品「まなみセンセイション」でも描かれていました。この作品について簡単に説明すると、嫌々勉強の苦手な子供達を指導することになったエリート意識の強い教本まなみが、子供達を指導していくうちに立派な教育者へと成長していく物語です。自分で書いておいて言うのもあれなんですが、説明としては不十分だなという気がする。まぁそれは置いておいてここに登場する子供達は本当に勉強が苦手で、一生懸命勉強しても優秀な子供には勝てません。

進研ゼミにある漫画なんかだと勉強の出来ない子供でも、正しい指導があれば優秀な成績を収めることが出来たりしますが、この作品における現実はそんなに甘くはありません。同程度の努力では優秀な子供には絶対に勝つことが出来ないとはっきり宣言しています。そんな残酷な運命に対して絶望せずに前に進むにはどうすればいいか、それに必要なのは弱い自分を支えてくれる者の存在です。


誰か一人でも理解して味方になってくれる人がいれば前に進める
上の言葉は大高先生がBSで語っていた言葉です。自信がなくて前に進めなくなった時、そんな自分のことを肯定してくれる誰か。それはティトスにとってのマルガ、アリババにとってのアラジン、孝士にとってのもも子、ちよちゃんにとってのまなみ先生です。

人間誰でも自分の弱いところを嫌というほど思い知らされ、厳しい現実を見せられると心が折れそうになりますが、それでも誰か一人でも味方がいればそれを支えにして進むことが出来ます。「マギ」ではアリババが比較的早い段階で自立してしまったのでアラジンに助けられているという感じはあまりしませんが、最初から最後までもも子に支えられていたヘタレな孝士の成長物語として貫き通した「すもももももも」はこのことが顕著に描かれている作品です。

「悲しみや憎しみで心が暴れそうな時…思い出せ、忘れるな。決して一人ではないことを。誰にでも自分を理解し愛してくれる誰かが一人はいるということを…」

最終巻にある日光菩薩のこの台詞が「すもももももも」とはどういう作品なのかを一言で表していると思います。記事を書く為に単行本を少々読み返していましたが「すもももももも」は滅茶苦茶熱くて面白いですね。最終巻までに孝士を落とすところまで落とすので、最終巻での盛り返しというか盛り上がりが本当に凄い。「マギ」とは対象にしている読者層も違いますし青年誌と少年誌という違いもありますが、結構共通点は多いんだなと改めて思いました。特に優介と孝士の話なんかは「マギ」のテーマでもある運命と堕転にも通じるところが多くて、テーマ的には繋がっていますね。