- 作者: 大高忍
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2017/11/17
- メディア: コミック
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最初は主人公が虐げられた人々を救う為に、悪党を倒していくという分かり易い勧善懲悪ものから始まりながらも、途中から単純に善と悪に別けられない世界の在り方が描かれるようになり、その後は倒すべき諸悪の根源がいない中で平和な世界を手に入れるにはどうすればいいのか、武力に頼らない救済の方法が問われていきます。
上で述べた様な単純な世界で子供の心を掴みながら、徐々に複雑な世界を経験させて考えさせる作風が、「マギ」の最大の魅力と評しても過言ではないでしょう。その点は序盤から専門的で抽象度の高い話を始める「銀河英雄伝説」や「まおゆう」には見られない大きな特徴ですね。要するに難しいテーマを子供でも分かる様に伝えてくれる。ここを起点に様々な書物に接すれば、理解度も幾分か高まるでしょう。それは少年漫画として理想的な在り方の一つだと思います。
怨みを抱えた者は悪に転じる
主人公が倒すべき相手を同情の余地の無い人物として描写する。主人公に感情移入させる手段としてありふれたものであり、アラジンがライラ達を守る為に倒した盗賊団が良い例。序盤は主人公達のヒーロー性を高める為に、人々を奴隷にして平然と痛め付けるジャミルやファティマーや呂斎など、見るからに悪そうな悪役が登場します。彼等は主人公に全力で殴り飛ばされても、読者の心が痛まないようなキャラに演出されていたのですが、本当にそれだけでしょうか。
深くは語られませんでしたが、ジャミルはアルサーメンから歪んだ教育を施され、ファティマーは元々は奴隷として酷い目に遭わされ、それが原因で悪に堕ちていました。つまり彼等は倒すべき加害者ではあるものの、元を辿れば被害者でもあるんですよね。生まれながらに望んで悪の道に進んだ訳では無い。勿論ライラの様に自力で真っ当な道に戻ろうとした人もいるので、そこに留まり続けたのは自分の意思と呼べるかもしれません。けれども運命が少しでも違っていたら、今と全く異なる自分になれたかもしれない人達ではありました。
このテーマを掘り下げた話がバルバッド編になります。クズな父親に育てられ、手を汚しながら生きてきたカシム。彼は優しく美しい母親に愛され、王族の血を引いていたアリババに劣等感を感じていました。スラムで一緒に遊んで弟同然に接してきたアリババが、本当は自分なんかとは生きる世界が違う人である。その事実はカシムの心は黒く染めていきます。
何故自分はアリババになれないのか。王族の血を引いている者は何もしなくとも、王宮で優雅な生活を送れる不平等な社会。カシムはそれを作り出した運命を呪い、最後は命を落としました。アリババがバルバッドから逃げずに、もっと前から現実と向き合っていれば、カシムが運命に復讐することは有りませんでした。その出来事がアリババの心に傷を残します。どうすればカシムの様に運命を怨んでしまう人達を救えるのか、カシムを助けられない後悔が以降のアリババを突き動かし、運命を怨む人々を堕転に誘うアルサーメンを止める道に進めます。
主人公の正義が揺らぐ時
大高忍先生は基本的に主人公側を善である様に描き、アリババに手を貸すシンドバッドのシンドリアは善、侵略戦争に明け暮れる紅炎の煌帝国は悪としていました。実際は各国に善い面も悪い面もあり、理想的な国家に思えるシンドリアも多数の問題を抱えているのですが、意図的にそういう風には見えないようにしていました。しかしバルバッド編がそうであったように、人は正しく生きたいと願おうとも、何度も道を誤ってしまう生き物。完璧超人に思えるシンドバッドも必ずしも正しいとは限らず、マグノシュタット編の頃から次第に主人公側の正義が揺らぎ始めます。
例えばマグノシュタットの地下に閉じ込めた大勢の非魔導師から魔力を吸い上げ、魔法道具の動力源に転用するシステム。一見すると非魔導師の人権を侵害しているように見えますが、魔法道具による生産性の飛躍的な向上が十分な食料を作り出し、魔力供給を担わされる貧困層の五等国民が餓死する事態も起きません。五等国民の扱い方に問題はあるものの、それ以外は他国と比較して極めて優れていました。
レーム帝国と異なり労働力を奴隷に頼る必要が無ければ、シンドリアと異なり優秀な王の力に頼る必要も無く、煌帝国と異なり侵略して奪い取る必要も無いマグノシュタット。学長のモガメットは非魔導師を軽蔑してはいましたが、魔導師にとっては能力的にも人格的にも理想的な人物でした。
五等国民の扱い方に疑問を抱く生徒は少なくありませんでしたが、モガメットからマグノシュタットがムスタシム王国であった時代の魔導師が道具同然に酷使された話を聞いてしまうと、モガメットの方針に納得させられてしまいます。マグノシュタットにとって部外者である生徒達の心を動かす程の正義がそこにはありました。ここで実際に訪れるまでマグノシュタットに与えられていたアルサーメンと裏で繋がる危険な国という先入観は見事に覆されます。
当初はマグノシュタットの魔導師は全員が敵である位の意識で挑んだアラジンも、沢山の人達と関わる内にマグノシュタットを好きになり、レーム帝国の侵略に対して命を懸けて立ち向かう事になります。モガメットの非魔導師に対する態度に思うところがあるとしても、それで彼の全部が悪と断じる事は難しい。白黒はっきりさせられない現実にアラジンは苦悩します。
この様な話が次々に増えてレーム帝国や煌帝国が、侵略戦争を行わなければならない理由も語られていき、アラジン達は各々の掲げる正義を成す為に、人々が争い続けている事を肌で感じていきます。そうして物語は善と悪に分けられる段階から、誰もが正しくて誰もが間違えている段階に入ります。こうなってくると特定の陣営に味方すればいいという訳にはいかなくなります。その正しさが見えない世界の中で何を選ぶべきなのか、それをアラジン達は自分の頭で考えなくてはなりません。
世界を救済する手段
各国が大切なものを守る為に矛を収められない。マグノシュタット編の戦争を通して語られた話になりますが、そこから抜け出すにはどうすればいいでしょうか。過去様々な作品が描いてきたテーマであり、ある程度パターンが決まっています。その方法に煌帝国の世界征服があります。思想や文化が異なる為に争うのであれば、世界中を同一の思想と文化で支配してしまう。
それには連戦連勝する圧倒的な武力が必要になります。紅炎がマグノシュタットやアルサーメンに目を付けた訳は、世界征服する力を強く欲していたからです。この方法の問題は侵略に対抗する国々が軍事力を強化し、戦争が激化する事で沢山の血が流れるところにあります。敵味方含めて無駄な犠牲を増やすだけで、何も手に入らない場合が少なくありません。勝利を前提に国を動かしているので、敗北すれば急に行き詰まるというのは、戦争終結後の煌帝国を見ていれば分かりますよね。煌帝国には戦争以外で国を育てる方法が身に付いていませんでした。
これに対してシンドバッドが選んだ方法は同盟を結ぶ事による世界統一。加盟国が相互に監視して暴走を抑え、侵略戦争を行う国に対しては一致団結して対処する。煌帝国という世界共通の脅威が存在していたおかげもあり、小国は次々に同盟に加盟してシンドバッドは勢力を強めていきました。そして彼等の力を借りてシンドバッドは煌帝国に勝利し、長く続いた戦争を終結させます。
これで一応世界に平和が訪れた訳なのですが、この平和は永遠に続くものではありません。戦争こそ無くなりはしましたが、各国が抱える小さな問題が解消されてはいないので、それらが時間が経つに連れて深刻化していけば、ふとした拍子に戦争を引き起こす火種に発展する恐れはあります。そうした事態を招かない為には、社会不安を無くすシステムの構築が重要になります。そこでシンドバッドは魔法技術を進歩させる道を選びました。マグノシュタットと同じ様な魔法道具を用いた生産性の飛躍的な向上、それにより最低限の衣食住が手に入る社会を作ります。
貧しくても飢えて死ぬ事が無ければ、強烈な動機を持たない大半の人は運命を受け入れるので、バルバッド編で起きた様な大規模な暴動は防げます。少数の人間は罪を犯してしまうでしょうが、世界的に見れば些細な出来事なので問題はありません。この時点でかなり理想的な世界が作られていたのですが、運命が見えるシンドバッドはそこで満足が出来ませんでした。
武力から財力が力を持つ時代に変わりはしたものの、富裕層と貧困層の対立が生まれ始めており、システムが何時破綻するかは分かりません。その恐怖がシンドバッドに付き纏い、アリババの予想外の行動で未来が予測出来なくなってきた末に、聖宮の力を手に入れて人類を作り替える事を企みます。人類が争いを止められないのであれば、人類を根本から変えてしまえばいい。SF的な発想ですね。そしてシンドバッドはルフを書き換えて、人々から自由な意思を奪います。その行為は魔法で異種族を洗脳していたダビデと何も変わりません。このシンドバッドの蛮行を止める為にアラジン、アリババ、ジュダル、白龍は最後の戦いに挑みました。
人は人に運命を委ねてはならない
最強の王の器であるシンドバッドは、何故あの様に道を踏み外してしまったのか。彼の最大の欠点は特別であるが故の傲慢さにありました。特異点で他の人に見えないものが見えているシンドバッドは、自分の判断が運命的に正しいと信じて疑いません。自分に自信があるから、人に頼る意識が薄い。
自分の頭で考えて行動するべきというのは、作中で繰り返し描かれてきたことですけれど、それは人の声に耳を傾けなくていい事ではありません。人は誰しも間違えてしまうのだから、それに気が付いて正しい道に戻れるようにしなければならない。その辺はシンドバッドよりアリババの方が数段しっかりしていました。アリババはシンドバッドと比べると劣る面が多々ありますが、自分が未熟な人間であることに自覚的であるからこそ、周囲の声に耳を傾けて何が正しいのか悩む事が出来るんですよね。そして自分に出来ないことを行える人を素直に尊敬する事が出来ます。
物語の終盤、アリババはシンドバッドから他の王の器を犠牲にして、世界を導く唯一の王の器になるように言われますが、その提案をあっさりと拒否します。何故ならアリババには自分が世界を正しく導ける自信が無いからです。完璧な人間はいないのだから、世界の命運を一人に委ねるのではなく、一人一人が考えて自分達の足で歩いていかなければならない。アリババは世界を救済する英雄として生きる運命を拒否して、最後は特別な力も何も持たないただの一人の人間として生きる運命を選びました。幼い頃に物語の主人公に憧れていた少年の物語が、まさか英雄を否定するところまで来るとは読み始めた時は思いもしませんでした。色々と言いたいことはありますが、本当に射程の広い良い作品だったと思います。
追伸
すみません。先月は思ったよりも忙しく、その所為で記事には語りたい話の3割も書けていませんが、取り敢えず載せておきます。