アニメごろごろ

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「もよもと」から「電波教師」役割からの解放を目指した東毅

電波教師 26 (少年サンデーコミックス)

電波教師 26 (少年サンデーコミックス)

自称YD(やりたいことしかできない)病のオタク教師が生徒を教え導く「電波教師」の最終巻が先週発売されました。東毅先生は昔から追い掛けている好きな作家で一度は記事を書きたいと思っていたのですが、最近のアニメの記事を上げる事に手一杯で「電波教師」に言及しないまま数年が経過してしまい、完結したこの機会を逃せば恐らく一生書けない気がしたので、その前に気合を入れて長文の感想を残して置くことにしました。さて「電波教師」を語る前の準備として東毅先生が過去に出した同人誌に関して簡単な説明を書いておきます。これが電波教師で描かれているテーマを理解する際に重要な補助線となるので「電波教師」の話に入るまで少し長いですがお付き合い下さい。

東先生は商業誌で連載する前にきみまる名義で何冊もの同人誌を出していました。その内容は基本的に平穏な日常を破壊して残酷な現実を突き付ける事にあります。東先生の世界認識は厳しく「あずまんが大王」や「ケロロ軍曹」などのほのぼのとした世界は読者やキャラに都合の良い嘘に思えるのか、「あずまんが漂流教室」では普段は仲の良い生徒達を漂流先で思想的に対立させ殺し合わせ、「ひかりのくに」ではケロン星人が侵略を開始して日向一家がケロン星人のスパイと人々に疑われ暴行を受ける姿を描きました。数年前に「けいおん」の同人誌で悲惨な人生を送る澪達を描いて注目された蛸壷屋と同じ様に、同人誌では優しさに包まれた世界の欺瞞を暴き出す事に全力を注いでいるんですよね。

世の中に日常系とかハーレムものとか読者の欲望に忠実な作品が溢れていると、その幻想を壊したくなる強烈な衝動を持つ作家は必ず現れるもので東先生もその一人、読者にトラウマを植え付ける勢いで過激なエロやグロを詰め込みます。世界には「魔法少女まどかマギカ」の様な厳しい面と「プリキュア」の様な優しい面があり、東先生は性格的に前者の厳しい方を進んで見たがる作家です。多分真面目な性格でご都合主義的な作品で読者が甘やかされてしまう状況を無視する事が出来ないから、正反対の作品を生み出して世界は厳しいものでもあるぞと伝えたくなるのではないかなと思います。そうした姿勢を見ていると日本のサラリーマンが銃弾と血飛沫が飛び交う野蛮な世界に巻き込まれる「BLACK LAGOON」の広江礼威先生と親交が深い訳は分かる気がします。

BLACK LAGOON 1 (サンデーGXコミックス)

BLACK LAGOON 1 (サンデーGXコミックス)

同人誌は短編では庵野秀明監督が「エヴァンゲリオン」の劇場版で唐突に観客席を映した様に現実を直視させるだけの場合もありますが、長編の「もよもと」や「RE-TAKE」や「ねぎまる」ではその先に進んで残酷な現実と向き合い成長を終えた後に日常へ帰ります。「RE-TAKE」と「ねぎまる」は一言で言えば現実から逃げていた碇シンジ長谷川千雨が自分が招いた悲劇の責任を取る話、広義的には平行世界ものに分類され「バタフライエフェクト」と結論は一緒です。シンジも千雨も自分に都合の良い世界に閉じ籠る事を止めて、自分の幸福と引き換えに大切な人達が救われる世界を選択します。

「RE-TAKE」と「ねぎまる」は心に響く美しい終わり方をしてはいますが、自分も相手も救われるハッピーエンドなんて与えないあたり、東先生の世界に対する見方は厳しいですね。孤独なシンジと千雨が他者に心を開いて自分に都合の良い世界を捨て去り、さあこれから大切な人達と一緒に現実を生きるぞと望む時には既に取り返しが付かない状態に追い込まれており、それをどうにかするには自分の存在を世界から抹消する他に道が残されていません。

悲しい事に他者を受け入れて外の世界に目を向けた時が、自分が世界から消えなければならない時なんですよね。その残酷な選択を突き付けられても心の底から愛する者を想う故に受け入れる。東先生の描き出す世界は理不尽な出来事が溢れる救いようのないところですが、そんな世界だからこそ他者を思い遣り懸命に生きる人々の姿は美しく、私達に生きる力を与えてくれます。同人誌は過激なエロやグロの描写に気を取られてしまいやすいですが、本当に見せたいものは過酷な世界に立ち向かう意志にあると思います。

超弩級少女4946 1 (少年サンデーコミックス)

超弩級少女4946 1 (少年サンデーコミックス)

それを証明した初連載作品の「超弩級少女4946」には王道の熱い魂を込めた話が描かれます。この作品は化物と戦える唯一の存在であるウルトラマン並みの巨体を持つ衛宮まなと彼女を命を懸けて護ろうとする飛田マコトの物語。少年誌なので明るい作品ですが、同人誌の頃の残酷な世界観を受け継いでいる為に、世界を護るか愛する者を護るかなど世界の命運を決める規模の試練で二人の仲を引き裂こうとします。いわゆるセカイ系に分類される展開ですね。セカイ系の文脈での解説は評論家のいずみのさんがとらのあなの店舗特典冊子に書かれており、これを引用しながら「超弩級少女」の話をしようと思ったのですが、残念ながら何処に保管したのか思い出せないので割愛します。

まなは世界を護る使命を担わされた所為で何度も困難にぶつかり、その度に精神も肉体も傷付いていきます。世界を護る使命は個人が抱えるにはあまりにも大きく、「エヴァ」のシンジはその世界を救う英雄の重圧に耐えられずに逃げ出しました。人生は苦しい選択の連続で戦わなければ生き残れない状況もあるとはいえ、殺し合いに慣れない日本の少年に使徒と戦えなんて無茶な話ではあります。

そして「エヴァ」を契機に主人公を英雄にしてはならないという意識がクリエイターに広まり、「まおゆう」や「ガッチャマンクラウズ」といった英雄譚を否定するカウンター的な作品が生み出されていきました。「エヴァ」の影響を受けた作品は数え切れない程にあるのですが、その中でも特に強くテーマを受け継いだ上で綺麗に答えを出した作品は、鬼頭莫宏先生の「ぼくらの」だと思っています。世界を救う動機を持たない子供はどうすれば戦えるのか、子供に戦わせる大人は何をしてあげられるか、ロボットの戦闘は住民にどれ程の被害を与えるのか、その辺が丁寧に掘り下げられていました。余談ですが「RE-TAKE」と「ぼくらの」が「エヴァ」で見たいものを見せてくれたおかげで、仮に「エヴァ」が未完でも構わない位に思えるようになりました。

ぼくらの 1 (IKKI COMIX)

ぼくらの 1 (IKKI COMIX)

まあその話は隅に置いといて英雄の話に戻しますが、先程の同人誌の話で殆んど語らずにいた「もよもと」も英雄を否定する系譜に位置する作品。魔王を倒す勇者として人々から期待という名の呪いを受けて育てられた主人公は、職業を自由に選べる僧侶や商人と異なり勇者の一択しか与えられず、そこには「はい」か「いいえ」を選ぶ隙もありません。魔物を殺す為の機械として感情を殺し、仲間が酷い目に遭わされても気に留めず、世界を救う日まで剣を振り手を汚し続けます。「もよもと」はその様な悲惨な人生を送る勇者と彼を支える仲間の生き様が描かれています。

細かい説明が面倒なので簡単に言えば「もよもと」と「超弩級少女」を通して、大きな使命に人生を束縛された人達をどうしたら救えるのかを描いてきました。そしてこの役割に縛られた人達を解放を物語の中核に置いたのが「電波教師」になります。主人公の鑑純一郎は与えられた役割を無視して自分がやりたい事しか出来ない病気の持ち主で、その自由な生き方を学校や世間の圧力に屈して本当にやりたい事が出来ない人達に伝染させます。基本的に「電波教師」は鑑が生徒の抱える問題に干渉して、その生徒が自己実現の追求を出来る様にする話の繰り返し。この話を作品の幹に置いて、周囲の目を気にして本当の自分を隠していた千波花音荒木光太郎、望まない競争を強いられた柊学園本校の生徒達、周囲に望まれた役割を果たすだけの鍋墨綾子とミーシカ、何でもやれる所為で打ち込めるものがない0号と枝葉を変えて色々と展開していきました。

それでは話を次に進めます。「電波教師」でも「GTO」でも「暗殺教室」でも「魔法先生ネギま」でもそうなのですが、生徒の抱える問題を解決する教師は生徒の目にはある種の英雄に映ります。但し教師が人々の命を救う英雄と異なる点は、救済する相手に人生の大切な事を教えるところにあり、教育を受けた側は成長して大きな事を成し遂げていきます。例えば「暗殺教室」では殺せんせーの授業を受けた生徒達は、教師や政治家の道に進んで生徒や日本を変えていきました。教師の思想は形を変えて生徒に継承されるもの。

東毅先生も教育が次世代の英雄を育てるものと意識していたから、宗教団体NE編で綾子を助ける鍵となるキャラを鑑にせず九御路にしたのでしょう。独立戦争編もそれが言える話であれも鑑だけが活躍するだけではなく、鑑に教えられた生徒達が協力して仲間を護ろうするんですよね。鑑の力だけでは生還率が0%の作戦を成功させられたのも、彼が育てた生徒達が自主的に助けようと行動を起こしたからです。選ばれた者に全てを背負わせずに一人一人が個性を発揮して互いに支え合う、これは「もよもと」や「超弩級少女」で描かれた英雄譚の抱える問題の完璧な解答と言えます。

宗教団体NE編と独立戦争編は一方的な教師ものとして考えると訳の分からない展開が目に付きますが、個人的に宗教と建国の話は大事な部分だと思っています。教祖も教師も相手に思想を植え付ける点では変わりませんし、正しい教育の在り方を考える上で宗教は無関係の話ではないですからね。柊学園本校の教育なんかはNEと同様に洗脳に近いものがあり、校長の有栖は学校には生徒の将来に責任を持ち幸福にする義務があるという信念の下、社会に出た時の苛烈な競争に勝てる人材を育て上げようと生徒にスパルタ教育を施していました。有栖の掲げる目標は立派なんですけど、手段に問題を幾つも抱えていて、彼女の教育は生徒の将来の幸福を約束する代わりに、生徒の現在を不幸にしてしまいます。

確かにあの教育を受ければ社会で勝ち組と呼ばれる層に入れる可能性は高いですが、その勝ち組が幸福と結び付かない時代に突入した場合はどうなるのかは分かりません。有栖は生徒を既存の社会に作られたルールの中で勝ち組にする方法に拘り過ぎていて、生徒が自分に都合の良いルールを作り出して勝ち組になる方法を教えていません。世間的には勝ち組になれたとしても根本的な部分で支配される側にしかなれない。これでは鑑の様なルールブレイカーが現れて、本気で社会を変革した際に呆気なく無力化されてしまいます。自分が絶対的に正しいと信じていたルールが覆された時にどうなるのか、それは鑑に計画を潰された有栖の無様な姿を見ていれば分かりますよね。

人間は辛い事に耐えて努力してきた分だけ、自分の努力が無意味にされた時の傷が深くなる生き物。勝ち組に入れるルートから外れた優秀な人間が、凡人みたいに生きようとせずに簡単に命を絶つ原因もそこにある。人間は努力が報われて欲しいと願いますが、努力は必ずしも報われるものではありません。だから努力なんて割に合わない真似は出来るだけ避けた方がいいんですよね。目的を達成する手段は努力なんて辛いものではなく、楽しいものでなければなりません。残念ながら有栖はその視点が抜け落ちていました。

自分の好きな事を大切にする。これが人生に与える影響は意外と侮れません。例えばアニメオタクであれば好きな作品に関して色々と考える事はありますよね。その行為自体は世間で評価されない遊びですけど、継続的に続ければ思考力は下手な勉強する以上に伸びるもので、その事はブログを書き始めてから実感していますね。仮に役に立たないとしても好きな事があれば、それだけで厳しい社会を生き抜く活力が得られます。

電波教師 9 (少年サンデーコミックス)

電波教師 9 (少年サンデーコミックス)

ちなみに先程のルールに支配する側からルールを作成する側になれというものをひたすら追い求めた先に出る答えが建国になります。独立戦争編でシードクラスの生徒達が世界に狙われるミーシカを護ろうとして建国する展開は教師ものとしてはあれなんですけど、連載初期に鑑が話した「自分だけの武器を磨け。自分だけのルールで生きろ。そして現実に自分のルールを認めさせろ」に従えば非常に納得度の高い展開だと思います。あらゆる束縛から逃れて全力で自分の居場所を手に入れようとするとそこまで行き着くのは必然。

さすがに疲れて来たのでまとめに入ります。ここまでの話を聞けば「電波教師」が「超弩級少女」や「もよもと」のテーマを引き継いで描いてきたのは分かるかと思います。世間や自分が勝手に決め付けた下らない常識に縛られないで「やりたいことだけやればいい」と自分の心が望むままに欲望を最大限に解放する。この世界には命令に従わされ苦しい思いをしながら敵を殺す巨大美少女も勇者もいません。過去作品で役割に束縛される悲劇を見てきた読者としては「電波教師」の展開に胸が熱くなります。数年間の連載を終えて同人作家の頃から描いてきたテーマに対する解答を提示した東毅先生。次回作でこれまでとは全く別のテーマを取り上げるのか、それとも同じテーマを別の角度から取り上げるのか。東毅先生は読者の心に訴えたい強烈なテーマを持つ方なので、次に何を語るのかはとても気になります。

長くなりましたが「電波教師」の話は取り敢えずこの辺で終わりになります。これ以外に九御路がスカートや面子をめくるのが得意な理由は「さすがの猿飛」が元ネタだからなのかとか、教師も漫画家も子供達を育てる意味では同じものだよねとか、久遠重音や時坂朋也や古居先生の個々のエピソードについても書きたい話はあるんですけど、そういう細かい話を入れると記事の言いたい事がぶれそうなのでやめました。今回の記事では「超弩級少女」について大して書けなかったので、再来月までにはそれ単体での記事を書きたいですね。その前に書き途中で放置した「モアナと伝説の海」と「テイルズ オブ ベルセリア」の記事をどうにかしなければ。

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