アニメごろごろ

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「暗殺教室」では魅力的な悪役を出せない

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

暗殺教室 1 (ジャンプコミックス)

暗殺教室」に登場する悪役は鷹岡、死神、柳沢と小者臭のするキャラが目立ちます。鷹岡は渚に敗北した事によりプライドを傷つけられ、その腹いせに暗殺者を雇い生徒達を殺そうとします。柳沢も自分の思い通りにいかないと癇癪を起こし、婚約者にも頻繁に暴力を振るう駄目人間。

死神は途中までは生徒達を圧倒して殺せんせーすら捕獲し世界最強の暗殺者に相応しい活躍をしましたが、最後は烏丸に金的蹴りをされ苦しみ悶えたところを殴られるという無様な負け方をします。烏丸からは「そんなに大した殺し屋か?」「人間としてどこか幼い」と言われる程度の悪役。

この悪役の魅力の無さは松井優征先生の才能が無いという話ではありません。というのも松井先生は意図的に悪役を小者に見せようとしているからです。そうしなければ子供達を正しい道に導こうとする教師ものの本分を全うする事は難しい。


悪役には憧れるな
簡単に言えば読者や生徒達が悪役に憧れるのは教育的に悪いから、あえて格好悪いキャラにしているという話なんですよね。前作「魔人探偵脳噛ネウロ」の葛西みたいにどれだけ窮地に追い込まれようと取り乱したり改心もしない、信念を持ち死ぬまでそれを貫ける悪役は魅力的ではありますが「暗殺教室」では否定されなければなりません。

魔人探偵脳噛ネウロ 20 (ジャンプコミックス)

魔人探偵脳噛ネウロ 20 (ジャンプコミックス)

魅力的とはいえ人間として問題のある相手に憧れるとどうなるか。それは天才的な暗殺者の技術に憧れて鍛えた挙げ句の果てに、暗殺対象とは無関係の人間を巻き込む外道の死神を見れば分かると思います。

技術を鍛える為に殺し続ける事しか目的を持たず、その優れた技術を誰かの為に役立てられない死神。死神同様に暗殺者に育てられたビッチ先生ことイリーナもまた幼さを残した大人になりましたが、育て親のロヴロがまともな成熟した大人であったおかげで、イリーナは道を踏み外さず生徒達からも慕われる人間に成長します。

この様に誰に教わり誰に憧れるかが違うと、その後の人生も全然違うものになります。正しい成長をして立派な大人になるにはどうすればいいか。その方法の一つはああなりたいと思える大人と出会い、それを目標に少しでも近付こうと努力する事です。新しい出会いがあれば目標をそこに変えたりしながら学び続け、そうして得た経験が将来の夢を実現する武器になり、それらを使いこなせると幸福な人生を得る事にも繋がります。

これに説得力を持たせる為には悪役が人間として間違えた生き方をしながらも充実した人生を送っていたら駄目ですよね。そんな人間に憧れた者もまたそうなってはなりません。間違えた道を進む奴にはそれ相応の罰がなければ、正しい道を進むなんて馬鹿みたいに思えてしまいます。

だから暴力教師の鷹岡は学園から追放され、防衛省に戻るも同僚に陰口を叩かれ立場を失い、最後は逮捕されるという惨めな描かれ方をされてしまいます。そうしなければ示しがつきません。

ここは「ネウロ」の時とは正反対と言えますね。「ネウロ」では犯罪行為は悪とされ裁かれもますが、犯罪者の持つ強い想いには価値があるものと肯定的に描かれていました。その強い想いがあれば何度折れても立ち上がり、悪いところを直して進化していける。あの犯罪者を善悪だけで語らない作風は気に入っています。

話を戻しますが「暗殺教室」では悪役に読者や生徒達にああはなるまいと思わせる反面教師の役割を担わせます。主人公が絶対的な正義の体現者になる教師ものにはこうした傾向があるみたいですね。医療ものですが「最上の命医」もこれに当てはまります。

最上の命医 1 (少年サンデーコミックス)

最上の命医 1 (少年サンデーコミックス)

ちなみに悪役であっても改心さえすれば、悲惨な最後を迎えずに格を上げる事も望めます。例えば浅野学秀は初登場時には主人公達のいる落ちこぼれのE組を見下す悪役でしたが、E組との幾度の勝負を経て次第に実力を認める様になり、恐れていた父親の教育方針を間違いだと主張もします。これは学秀の精神的な成長と言えるでしょう。

暗殺教室」はこの様に悪役は敗北により心を入れ替えるか惨めな人生を送るかします。ここまで書いてきたように子供達に正しい道を示す教師ものでは悪役を反面教師にする傾向があり、その為に悪役は外道であっても大物であってはならないという縛りを受けます。

これがあると物語の最後の戦いを盛り上げるのに相応しい「ダイの大冒険」のバーン様や「るろうに剣心」の志々雄みたいな死に瀕しても信念を貫き通す強大な悪役を出すのは難しいのですが、「暗殺教室」はそうした悪役の代わりに最強生物の殺せんせーという大物がいます。

生徒達を熱心に指導してきた最強最善の殺せんせーを暗殺する為に、生徒達が殺せんせーから教わった全てをぶつける。これなら最強最悪の敵との戦いにも引けを取らない盛り上がりを見せると思います。実際にそうなるのかはまだ不明ですが、当初の予定通りに進めばそうなるはずです。

この生徒達が主人公である教師を何らかの形で越えるか追い付こうとする展開は教師ものには割りと見られますね。ここは主人公が頂点を目指し成長する姿を描こうとするスポーツ漫画やバトル漫画との差違になると思います。


教師は主人公であって主人公ではない
通常の物語は主人公の為に存在する世界なので、主人公を活躍させようとする力学が働きます。長い物語の中では仲間に焦点が当てられる時もありますが、優先されなければならないのは主人公ですから、物語終盤とか大事な場面なればなるほど主人公に焦点が当てられます。極端な話をすると主人公だけを活躍させて、仲間は主人公を持ち上げるだけの存在にしてもいいんですよね。

これが主人公が教師の場合には事情が変わります。教師の存在意義は生徒達を成長させる事にあるので、生徒達が成長して活躍する事こそ本当の意味で教師の活躍になります。教師が生徒達を周りから守るなんてのは教師の本分ではありません。

そうした理由から教師ものでは物語終盤になると生徒達だけで問題解決にあたるとか、生徒達が教わった事を活かして逆に教師を守るとか、教師が育てた生徒達が何を成し遂げるのかが描かれます。「暗殺教室」ではそれは構造的に生徒達が殺せんせーを暗殺して世界を救う形になると予想されます。物語的に最大の見せ場となるのはそこだと思います。

生徒達が尊敬する教師を越える姿の描き方には色々ありますが、それを少年漫画的に盛り上がる世界を救う戦いにするあたり松井先生は設定作りが上手いですね。これを普通にやるだけでも十分面白いと思いますが、松井先生ならそれを外して越える展開もありそうなので楽しみです。