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第7章「風子」に登場する宇宙人の会話のまとめです。コメントで指摘された部分は修正しておきました。おかげさまで完成しました。

タコ「時空間探査機来てたろ」「見た?」「あ、コーヒー要る?」
グレイ「ああ、2人ともそれにつられて来てくれた」「あ コーヒーは2人の分だけでいいよ」

タコ「火起こせた?」
グレイ「うるさいな」

タコ「ガスコンロあるのにさ 何やってんだか」
グレイ「遊びだよ」「いいじゃないか」「せっかく下りたんだから」

タコ「ほら伝わった!!この外装で正解だったろ?」

グレイ「天才!!」「地球人が考えたデザインなのになぁ」「むしろだからか」 「本物のおれ達見たらどう思うんだろうな」

タコ「ほら知らないって 来るとこ間違えたんだよ」 「どーすんだよ300年待ち損だぞ」

グレイ「損じゃないだろ そのためだけに来てないんだから」 「彼らがフルトゥナとコーコの転生体なのは間違いない」「じゃあ彼らの来世だな 問題が起きるのは」「時空値が同じで可能性がズレただけの転生だから間違えたんだな」「…っていうかおれ達が来たから可能性値が変化したんじゃ…」

タコ「それじゃあ 今教えといて来世で思い出してもらえばいいかな」

グレイ「教えてもいいけど来世でいいタイミングで思い出すまでは一度忘れさせておこう」「今だって見てるかもしれないんだぞフルトゥナはこの未来生もさ」

タコ「…つくづくとんでもない奴だなフルトゥナは」「じゃ、その方針で」「とりあえず虫捕り網に偽装したソウルキャッチャー渡しとくか」

グレイ「そうしよう」 「…フルトゥナなんて個人の野心で宇宙座標に惑星級の大穴空けられたらかなわない」「おれ達外星系観測者まであいつのエネルギーにされてしまう」「あいつの観測点は封印してもらわなきゃ」

タコ「ソウルキャッチャーどっちに渡す?」 「やっぱ英雄コーコの転生体かな」

グレイ「フルトゥナの転生体の方じゃないか?」「コーコの転生体は肝心な時にフルトゥナに乗っ取られた転生体と戦ってて手一杯だろ」 「彼女の来世の観測点がその時に思い出せたら彼女からそれを取り出して拘束を破れるだろ」

挫折を経験した天才は何処に向かうのか
天才であるはずのフルトゥナでも病気のレイを救えませんでした。この特別な才能を持つ人間が大切な相手を救えずに、自分の無力さを痛感させられる展開は「サイコスタッフ」にもありましたね。あちらでは主人公の母親が病気で死んでもまだ優しい父親が残されていたおかげで、主人公は才能に溺れず最後まで道を踏み外さずに育ちましたが、フルトゥナにはレイしか師匠となる人間はいませんでした。もしもレイ以外にもフルトゥナを正しい道に導ける誰かがいたら、あの様な事件は起きずに済んだのではないでしょうか。このままだと知識欲に取りつかれてアニムスみたいになりそう。

フルトゥナはレイと同じ病気になったイーストを救う為に、病気で肉体が死ぬ前にイーストを肉体から切り離して霊体にしましたが、これがあるからイーストは転生する事が出来ないんですかね。第六章の亜生者みたいに肉体というか脳だけの状態で生かし続けると転生出来ず、イーストみたいな意識を保つ霊体状態になっても転生出来ないという感じなのかなあ。ところでフランベが転生後もやたらと主人公を敵視しているのは、第一章の人生でフルトゥナに劣等感を抱いていた事以外に、手配書の人相描きで自分の顔を使われた所為もある気がします。


輪廻転生の魅力は主人公の最後を描ける事にある
スピリットサークル」は主人公の風太が自分が前世でヒロインの鉱子に何をしてきたのかを知る為にフォン、ヴァン、フロウ、方太朗、ラファル、風子、フルトゥナの過去生を見た上で、鉱子との長きに渡る戦いに何らかの決着をつけるという構成になっています。この構成は過去に起きた事件の謎が少しずつ明かされるミステリーものとしての面白さが生まれる以外に、主人公が死ぬ時までにどの様な人生を歩んできたのかを何度も見れるから面白いですね。

惑星のさみだれ」や「サイコスタッフ」では主人公の長い人生のうち、物語の様な衝撃的な事件に巻き込まれた時期だけを描いていました。これに限らず世の中の大半の作品が主人公の生きている時間の中で、最も盛り上がる部分だけを物語にするので、その後にどんな人生を送るかは語られずに終わりやすい。語られたとしても10年後とかその程度で主人公の死ぬ時が描かれる作品は少ない。

主人公が爺さんになり天寿を全うする話なんてあまり面白いものではありませんし、そうなる前に主人公が物語的に大した意味を持たず事故や病気で死んでしまう話も面白いものではありません。読者が好きなのは基本的には輝かしい活躍をしていた若い頃の主人公ですから、そんな主人公像を壊してしまうものはあまり見たがりません。

そんな読者から望まれていない展開をわざわざやる意味が無いので、主人公が最後にどうなるのかは普通は語らないんですけど「スピリットサークル」はそこを丁寧に描いています。その人生の終わりは劇的でも何でもないつまらないものかもしれませんし、悲劇的でとても後味の悪いものかもしれませんが、そこまで描いてこそ本当の意味で人間の生き様を描いたと言えると思います。

フォンの人生は大切なレイを殺したヒロインに復讐しようと襲いかかり、逆に返り討ちにされてしまい命を落とすという悲しい最後を迎えます。ヴァンの人生は最後は頭を石にぶつけて死ぬという馬鹿みたいなものですけど、親友と酒を飲みながらだらだら過ごしたり、娘のレイと過ごす日々は幸福なものでした。フロウの人生はヒロインと憎み殺し合いをせずに済みましたが、自分が心の底から望んだ事は満足に出来ず、ただ長生きしただけでどこか虚しさがありました。これらは淡々と描かれていて「惑星のさみだれ」みたいな盛り上がりはないのですが、それでも不思議な事に惹き付けられてしまいます。自分でもどうしてそう感じるのか言葉で説明出来ないのですが、多分人間が長年生きて積み重ねてきた人生の重みをそこに見るからなんだと思います。

これ本当に何を言っているのか全然意味が分からないですね。もう少し伝わりそうな言い方をすると数ヶ月で冒険が終わる「ダイの大冒険」が濃密な短い時間を描いた作品だとするなら「スピリットサークル」はそれとは逆に密度は低い代わりに長い時間を描いた作品なんですよね。

前者が量より質の人生だとするなら後者は質より量の人生、数年から数十年の時間の積み重ねが物語に重みを与える。ヴァンとフロウの人生は特にその傾向が強いですね。それがあるから妻が他界して独りになったフロウが数十年ぶりに再会したクティノスと会話して笑うだけの場面に何故か感動するのではないかなと個人的には思います。

これらの過去生は完全に独立した作品として読んでもそこそこ楽しめるのですが、ここに前世での縁を加えると物語の重みが桁違いに上がります。例えばクティノスとリハネラは身分の違いもあり好意を持ちながら結ばれず、リハネラは親に言われるがままフロウと結婚させられてしまうのですが、転生して刃九狼と璃浜となった彼らは徳川家に命を狙われたりしながらも結婚して子供まで産んで、その子孫であるテツとウミに転生して平和な世界に生きられるようになります。

主人公はフォンやヴァンの時にはヒロインを憎んでいるのですが、方太朗の時には朱里のおかげで殺し合う関係だったヒロインとの距離が縮まり、ラファルの時にはヒロインを憎まずに普通に会話して夫婦にまでなります。ラファルの過去生だけ読めば好きでも嫌いでもない同僚と成り行きで夫婦になるという話なんですけど、前世で殺し合いをしていた事を知っていると夫婦になるだけで泣けるんですよね。ついに憎しみを捨てて相手と手を取り合えるようになったのかと感慨深いものがあります。これが輪廻転生の強みですね。

輪廻転生ならキャラに対する愛着も次章に引き継げるので、新しい主人公とヒロインに対して感情移入がすんなり行えるようになりますし、キャラの魅力を重視する漫画読者の支持を得る為にも有効な手法だと思います。「宇宙大帝ギンガサンダーの冒険」や「外天楼」みたいな複数の小さな物語を描いた作品は色んな物語世界を楽しみたい読者には受けますが、その代わりにキャラの見せ場が分散されてしまい魅力的に見せるのが難しいから、熱狂的な読者はあまり増やせないんですよね。

たとえどれほどストーリーが素晴らしかろうとキャラが弱いと飽きられてしまう時代ですから。この複数の小さな物語の欠点を「スピリットサークル」は過去生を体験する風太と鉱子というキャラを配置した事により解決していますね。これは短編と長編のどちらも上手に描ける作家でないと作れないと思います。

外天楼 (KCデラックス)

外天楼 (KCデラックス)