アニメごろごろ

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美少女は争いが絶えない世界の悲劇性を高める

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

GUNSLINGER GIRL」に「ブラックブレット」に「まどかマギカ」と少女が無理矢理に戦わされ命を落とす悲劇的な作品はどうも一定の需要があるらしい。少女が戦わされる理由は男性消費者が単純に戦闘と少女が好きだから、それらを組み合わせた作品を求めているというものもあるでしょうが、それ以外にも少女を戦わせることが世界の残酷さを際立たせて、物語の悲劇性を高める為に少女が戦わされる系統の作品が好まれるというのもあると思います。少女が悲劇性を高める理由を語る上で、少女の持つ属性について書かないと伝わらないと思いますので、ここからはそれについて書いていきます。

子供は大人より精神的にも肉体的にも未熟であり、現代社会においては保護対象である。先の短い大人と違い将来の夢も沢山持ち、それを実現する可能性を内包している。女性である少女は少年と違い肉体的に弱いこともあり、古来より戦闘行為から遠ざけられてきた。また少年よりも活発に動き回らないことから、弱さをさらに感じさせ庇護欲を誘いやすい。

夢、純心、未成熟、非戦闘員

これらが少女の持つ属性と言えます。そんな純心無垢で可愛らしい少女が命懸けで敵と殺し合う運命を背負わされ、普通の少女と程遠い生き方をさせられ魂が穢される事により、それを強いる世界の残酷さが強調されて作品の悲劇性を高めると考えています。殺し合いなんかとは縁のない少女に殺し合いをさせるからこそ意味がある。

これが男性である少年の場合では戦闘行為は狩りの延長ともいえるので、生物的にも歴史的にも比較的自然な行為ですし、少年が戦うのは少年漫画や子供向けアニメといった物語世界に溢れ常識になっていますから、「少年なのに戦わされてしまい可哀想」といった悲劇性はやはり少女よりも弱いと言えるでしょう。男女平等が進む現代社会では少女も活発に動き回り相手を殴り倒したいという気持ちも抑えない方向になるので、その需要を汲み取った「プリキュア」みたいな作品も作られてはいますが、それでも未だに少女は少年と比較すれば戦いから遠い存在です。

この様に男女で求められる役割が違うと少年であるシンジが「僕はエヴァに乗りません」とか言い出すと周囲や視聴者から「男の子ならうじうじしてないで戦え」なんて厳しい要求をされたりするんですよね。もしシンジが美少女だったら視聴者の反応も変わっていたはずです。まあそこは想像でしか無いですけどね。まあそんな話は置いといて、老若男女の中で少女が最も戦いの悲劇性を高める効果を持つ理由は、これで伝わったと思うのですが如何でしょうか。

そんなこんなで少女を不幸な目に会わせると物語的に映えると考えていたんですが、少女とは逆の属性を持つからこそ映える不幸もあるなと最近は思うようになりました。どの様な不幸の形かというと引き篭もりニートになった場合ですね。これの場合は「無職転生」みたいな中年の成人男性にした方が効果は大きい。引き篭もりニートの悲惨さを演出するには、これが圧倒的に読者の心に響きます。子供であれば人生まだまだ取り返しがつきますし、高齢者になれば今更悩んだところで死ぬのは目前なので気にする意味も大してありません。

これが中年だとそうはいかないんですよね。長期間働かず生きていただけで社会からは役立たずのゴミ扱いされるので、まともな会社に正社員として就職するのは想像を絶する程に難しい。同世代は結婚して新しい家庭を築いたり、出世して稼いでいるのに自分は何も出来ていない。人生取り返しのつかないところまで来てしまったことの後悔、そんな行き詰った人生はまだ何十年も続いてしまうという恐怖。現実に対する閉塞感と絶望感が出るのは大体この辺りなんじゃないかなと思っています。

ここまで二つの悲劇を紹介してきましたが、この二つを見る時の読者の姿勢って多分違いますよね。前者は何処か遠い国の出来事の様に自分とは無関係であると自覚して読んでいるので、その悲劇を高みから可哀想と思いながらも楽しむ余裕がある。けれど後者は自分の身に起こるかもしれない、あるいは起こり得たかもしれない現実味のあるものなので、読んでいて辛いと感じる読者も多いと思います。引き篭もりのニートなんてものは新卒の就職活動に失敗したり、虐めやらでストレスを抱えて精神を病めば、誰でも簡単になるような立場ですからね。こうした読者の身に降り掛かるかもしれない悲劇をやる場合には、読者と共通点を持たせたキャラにした方が感情移入はさせられそうです。