アニメごろごろ

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「ガッチャマンクラウズ インサイト」2話から4話までの感想と考察

理詰夢と累の思想戦
人間は何度も同じ過ちを犯す進化しない愚かな猿と考え、そんな人間が強大な力を持つクラウズを所有する事を危険視する理詰夢。人間は少しずつでも正しい方向に変われると信じ、その時が来るまで人間がクラウズを使用する事を止めさせない累。三話におけるこの二人の対決は理詰夢の勝利で終わりました。

あそこで累が理詰夢は正しい意思に動かされる人間と信じている証としてノートを渡せなければ、累の信じているという言葉も綺麗事としか思われず理詰夢の心は到底動かせない。
理詰夢を説得しようとしてノートを渡せば攻撃されるかもしれませんが、それを考えて保身に走りノートを渡すのを躊躇ってしまえば、人間を信じているという己の思想の限界を認める事になります。自分の思想の正しさを信じる為にもノートを渡さないなんて選択は出来ません。

それならば理詰夢にノートを渡せば正解なのかと言えばそれも間違いなんですよね。ノートを渡した累は理詰夢に裏切られ重傷を負うのですが、この人間を信用したせいで痛い目を見るのは前作と変わりません。
何度裏切られようと相手を信じようとする覚悟は大したものだと思いますが、理詰夢からしたら同じ過ちを繰り返しているだけに見えてしまい、皮肉にも人間は進化しない愚かな猿だとする理詰夢の主張を累自身が証明した事になる。

どちらを選んでも累の分が悪い。累の勝利条件は自分の思想を理解してもらい理詰夢を説得する事にありますが、理詰夢の勝利条件は累に説得されなければいいだけですから。理詰夢は理を詰めるという名前をしているだけあって、相手を言い負かすのは得意分野みたいですね。理詰夢がクラウズは危険だという主張の正しさを自らがクラウズを悪用する事で世間に知らしめたのも見事なやり口でした。


三栖立つばさの巣立ち
親元から離れて暮らし始めたつばさもガッチャマンとしてはまだまだ未巣立ちの雛鳥と変わりません。つばさの考えるよりも先に行動して皆の命を助けようとする姿勢はヒーローとして素晴らしいのですが、考えないところはODやパイマンやはじめからは問題視されています。理詰夢に倒された累を助ける時にも命さえ助かれば、累の意思なんて二の次と考えていたところは危ういですね。

つばさはゲルサドラの誰もが同じ考え方なら争わずに済むという思想を素晴らしいと思っていますが、それが誤りであるとそのうち気付かされる事になると思います。
確かに皆の心が一つになれば争いは消えるかもしれませんが、それは強烈な個性と自我を持つ人間らしさの否定となり、そうなればもう人間とは言えない何かになると思います。

それに考え方が違うからこそ互いの意見を衝突させ議論が生まれ、一人では辿り着けない高みに至る事も往々にしてあるので、進化するには争いが起きる危険を伴おうとも多様性は必要になると思います。全員同じ考え方で同じ意見しか出ないとしたら、そんなものはもう思考停止と然程変わりありません。
はじめの「ばらばらだからこそ、ばちばちってなって、きらきらってなるんすよ」という台詞にもそうした意味が込められているはず。花火もこれと一緒でばらばらだからこそ綺麗に輝いて見えますね。


皆の空気を読むゲルサドラ
EDの歌詞には「正義は多数決で決められる」とありますが、その多数決で決められた正義を実行するのがゲルサドラという存在。累を助け欲しいと大多数が願うから助けに向かうだけで、そこには通常の善意や悪意は持ち込まれていない気がします。多分理詰夢を殺せと願われていたら躊躇わずに殺したのではないでしょうか。

地球人の常識を持たないゲルサドラは大多数の願いをどの様な形で実現するのか読めないから恐い。「Fate」の聖杯みたいに破壊でしか願いを叶えられない可能性もありますから。ところでOPにも登場しているサインポールみたいな連中は何時になれば現れるんですかね。