アニメごろごろ

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「クズと金貨のクオリディア」感想

変態王子と笑わない猫。」のさがら総先生と「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の渡航先生による共著。この「クズと金貨のクオリディア」はこれまでディスコミュニケーションの物語を描いてきた二人らしい内容でした。そういえば二人はキャラの名付け方も似ていますね。葉山隼人雪ノ下雪乃、横寺陽人に筒隠月子と韻を踏んだりとか。さてこの物語は主人公視点とヒロイン視点を通じ語られています。この表現には各キャラの内面を深部まで描き読者により感情移入させる事以外に、各キャラの世界の捉え方の違いを明らかにする効果があります。

「クオリディア」の場合は後者を目的にしていますね。このヒロイン千種夜羽の場合は主観形式にするとそのサイコパスっぷりが強調され感情移入が困難になりますから前者の効果は望めません。もしヒロイン視点が無ければ、単に腹黒いとか外道なだけと思う事も出来たんですけど、夜羽自身の思考が彼女の言葉で描写されるとそんな事は一切思えない。あれはそれよりもっと恐ろしい何か。「変猫」の横寺陽人は本音駄々漏れになろうと変態扱いされるだけでしたが、「クオリディア」の夜羽は本音が周りに聞こえたら確実に頭が狂っていると言われますね。


闇金業者並の悪質な金貸しをしながら、それを悪いと全然思っていないどころか正しいとすら思っている。そうした夜羽の異常性を挙げたらきりが無さそうな気さえしてきます。これだけ可愛げの無いヒロインは珍しい。暴力的なヒロインなんかは嫌われもしますが、これと比較したらまだまだ可愛いと思える方ですよ。何だか美少女キャラが何をするところまでなら許容出来るのかと作者に試されている感じがしました。ラノベはイラストが十割、人は見た目が十割だと冒頭に書かれていますが、美少女というだけで好きになるのは私には難しそうです。これヒロインの外見以外を好きになれる読者はいるんですかね。

そんな性格的には誰が見ても酷いと思えるような夜羽を主人公の久佐丘晴磨が好きになるのだから驚きです。しかも好きになった理由が顔だけは良いからというラブコメではあまり言ってはならないことを言うんですよね。相手の内面的なものに惹かれないのは恋愛の描かれ方としてはかなり珍しい。まあ考えてみたら男性向けのラブコメは主人公が読者の要望から大抵美少女としか結ばれないわけですし、それならいっそ最初から美少女だから惚れたと明言した方が清々しいものはあるのかも知れません。

読者が色んな作品のヒロインに好意を抱いているのだって絵柄が可愛いからですからね。そうでなければラノベの表紙があんなオタク受けを狙った可愛らしいものばかりになるはずがない。性格が好きだの何だの言ってもやっぱり絵柄というか容姿が重要なんだという事を読者に自覚させるのも作者の狙いなのかなあとか思います。

ブコメは主人公とヒロインが愛し合い結ばれる。言い換えると相互理解した上でその関係性を変化させる事が大抵終着点になりますが、この作品の場合はそうした相互理解等は存在しません。主観形式による語りを読んでも分かる通り二人の視点からの物事の捉え方はあまりに違います。それは普通なら見せ場になるところでも二人の息が揃わない姿に表れています。

せーので口を開いて、
「そんな世界でも折り合いをつけていくしかない」
「そんな世界はもう滅ぼすしかないと思うんです」
ドン尻が思いっきり食い違っていた。

長年一緒に生活している姉や妹であっても認識に違いがあるのですから、世間から逸脱した赤の他人ともなれば理解出来ないのは当たり前。客観なんてものは所詮沢山ある主観の中央値でしかないとする「クオリディア」の世界には無数の主観しか存在せず、誰もが主観から逃れられず真に理解し理解される事は無いのが前提にあります。

そんな世界にいる人々の平均から逸脱してしまい自分と近い主観を持つ仲間がいない人間は孤独になります。けれどそんな環境でも折り合いをつけて生きられるのだと読者に示しているのが晴磨。読者的に到底受け入れられないであろう夜羽の性格は晴磨にも受け入れられませんが、外見がそれらの欠点を上回れば好きになれる。

これなんかまさに折り合いをつける生き方だと思います。世界が自分を受け入れようとしないからと腹を立てもせずに、そんな世界の中で生きるしか無いのだと理解する姿勢は大人ですね。この折り合いをつける事の大切さを描いたところは虚淵作品にも近いものがあります。

アニメ見ながらごろごろしたい

夜羽の性格を共感不可の域に設定したのもこれを表現するのに必要だったからなのではないでしょうか。もし雪ノ下みたいに他者との軋轢を生む厳しい正論が正直過ぎる生真面目さによるものといった感じに欠点と長所が表裏一体なら、受け入れられない部分の見方を変えれば長所になるので相手のそれを好きにもなれます。けれどそれでは受け入れられない部分と折り合いをつけたとはあまり言えませんから、あえて雪ノ下と異なり擁護出来ない性格の悪さにしたのではないかと。

紫色のクオリア (電撃文庫)

紫色のクオリア (電撃文庫)

読み始めた時は晴磨の事を比企谷みたいな主人公だと思ったんですが、こちらは「ほんもの」なんて存在しないと思っていますし必要もなさそうですね。本当の友達だとか真実の愛だとかそんな存在するのかもあやふやなものを求めずに、顔さえ良ければそれでいいと言い切れる晴磨は悟りの境地に達しているかもしれません。

タイトルのクオリディアの意味は調べても分からなかったのですが、クオリアみたいなものなんでしょうか。それなら物語とも繋がりますがどうなんですかね。関係有りませんが、傑作との呼び声も高い「紫色のクオリア」は大分前に発売したのに、未だに書店に並べられているのだから大したものですね。シリーズものではないと書店も置き場所に困らないからやりやすいのかな。