アニメごろごろ

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「フレッシュプリキュア」愛の告白に返事をしないのは正しい

告白の返事を貰えない可哀想な知念大輔
フレッシュプリキュア」の最終回では幼馴染みの知念大輔の告白の返事を桃園ラブは言わず、大輔は残念そうな顔をしつつもそれを仕方ないと受け入れて終わります。付き合うのか振るのか答えを出されないと大輔はラブを愛し続けるので、新しい恋を始める踏ん切りがつきませんし、告白の返事を保留するラブの対応は不誠実とも取れてしまいます。

これだけを聞けば異性からの好意に応えない難聴系主人公みたいに視聴者から批判されそうなものですが、最初から最後まで視聴していると答えを出さずにいる事が、この作品に最も相応しい終わり方であると感じられると思います。何故相応しいのかを説明する為にもまずは敵組織の親玉であるメビウスについて記述していきます。


全人類の幸福を望んだメビウス
全てのパラレルワールドを支配しようと企んでいるメビウスですが、支配する動機は子供向けの悪役に見られる私利私欲を満たそうとするものとは正反対の位置にあります。

メビウスの正体は人間の生活を便利にする目的で作り出されたコンピューター、その動機の根元にあるのは人間を幸福にする事にあります。それがどうしてパラレルワールドの支配に繋がるのかというと、自分で考えずに国の管理すらコンピューターに頼ろうとする愚かな人間を野放しにすると、世界から争いと悲しみが未来永劫生まれ続けると判断したからです。

それが起きる位なら自分が全てを支配して管理した方が、不幸な目に遭う者達は減らせると考えた結果としてあんな事になりました。メビウスの管理下に置かれているラビリンスの国民達は全員同じ様な生活を強いられ、メビウス服従するように教え込まれて自由意思を奪われるので、そこには個の幸福を追求しようとする欲望も生まれません。

命令された通りにただ生きるだけで、人間性というものは抑圧されてしまい、不幸はないものの幸福もまたないんですよね。「フレッシュプリキュア」ではそうした不幸がないだけのメビウスの管理から自分の意思で逃れようとする者達の姿が描かれています。


幸せの形に決まりはない
メビウスの画一的な幸せの形を押し付られるのを拒絶して、一人一人が心から望んでいる幸せの形を追い求める。メビウスの管理から逃れると何をすれば良いのかも自分で考えなければなりません。それは必ずしも幸せだけが得られる生き方とは言えず、幸せを手にする過程で辛い目に遭う事も沢山あるかもしれません。

大きな幸せというものは楽して手に入るものではないですからね。例えばラブは大好きなダンスの練習とラビリンスと戦いシフォンを守る事を両立しようとした為に過労で倒れた時もありました。幸せを手にする事が大変であると身を持って知っているにも関わらず、それでもラブは自分の幸せがそこにあると信じているから諦めません。

ここまで書けばラブが大輔の告白に返事をしないで関係性の維持を望み、大輔がそれを受け入れる展開の良さがぼんやりと見えてきたと思います。ここで相思相愛のラブと大輔が互いに付き合い始めるのは、それはそれで美しい終わり方ではあるとは思いますが、幸せの形が一人一人違うという主張に説得力が生まれません。

ラブと大輔が付き合い始めるとやはり可能であれば誰もが幸せになれる形を追求する方が正しいのではないかと思えてしまいます。そうさせない為にも大輔がラブと付き合うという自分の望んだ関係を押し付けず、それとは異なるラブの幸せの形を肯定して、報われるかも分からない恋をそのまま続ける展開は必要不可欠。

適当に付き合わせて子供にも分かりやすいハッピーエンドにした方が受けたかもしれませんが、それよりも長い時間をかけて描いてきた物語の軸をぶれさせない方を選んだ製作陣は、作品作りに対してとても誠実に向かい合っていたと思います。