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「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」 9巻 感想

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。9 (ガガガ文庫)

個別に書くと言っていた記事追加しました。
由比ヶ浜結衣は雪ノ下雪乃と比企谷八幡の距離を縮めたいのだろうか - アニメ見ながらごろごろしたい


最近は後味悪い終わり方ばかりでしたが、久しぶりに綺麗な終わり方でしたね。アニメ二期では多分ここまで映像化するのでしょう。「俺ガイル」のアニメは費用対効果で考えればそこそこ成功したと思うし、それを受けて二期では予算が増えて作画が向上していると嬉しいなあ。

前巻でヒッキーが上っ面の関係だけを守ろうとした結果、ギクシャクとしてしまった奉仕部の関係性ですが、何とか良好なものになりました。奉仕部の問題は解決したので、次巻あたりから陽乃や葉山のことに触れていくのでしょうか。大分前からちょこちょこと話は出ているものの、あの二人については謎が未だに多いんですよね。


それにしても平塚先生はとても魅力的な大人ですね。駄目人間思考なところもあるし教師として問題行動もありますが、しっかりと生徒のことを見ていて導いてあげられる。
ヒッキーがもっと早く生まれていて平塚先生と出会っていたら、心底惚れていたかもしれないというのには納得。趣味もそこそこ合うし性格も他のヒロインに比べれば、ヒッキーに近いので相性は良いんじゃないかなあ。個人的な勝手なイメージでは互いにあまり遠慮せずに本音をぶつけ合えそう。
まあ平塚先生が高校生だった時と今とでは本質的に同じでも、やはり考え方も生き方も違っているでしょうし、実際に惚れるかどうかは分からないですけど。それにしても同じ結婚出来ない女教師でも「のうりん」のベッキーとは全然違うなあ。


平塚先生はヒッキーが悩んでいる時にヒントを与えたりと多少サポートするだけで、問題はヒッキーが自分の頭で考え解決するように仕向けています。ふと思ったんですがこれって渡航先生の作風に近いですよね。渡航先生は読者が何かしら考えながら作品を読んでもらえるように、あえて理解し難い表現を用いたりしているので。

ラノベは一般的に文学作品と呼ばれるものに比べると、読者にストレスを与えないようにあまり頭を使わずに読める展開にしています。登場人物が何を考えているかもストレートに言葉で説明していたりと分かり易いのですが、それだと読者が受動的になりあれこれ考えながら読み込むことを放棄していまい、読書から得られるものは少なくなると思うんですよね。

「俺ガイル」ではそうさせない為にわざと分かり難く書いている部分はあるのではないかと。例えば葉山が何考えているかははっきりとは言葉にされていないですしね。そういう答えを全て教えることをせず、読者が考え答えを出すようにするのは平塚先生の方針と似ているなーなんてことを感じました。



「たぶん、君でなくても本当はいいんだ」
平塚先生は雪ノ下を変えるのはヒッキーである必要は無いと話していましたが、現実的に考えればその方が普通ですよね。例えばラブコメなんかでは主人公とヒロインが付き合ったら、そのまま結婚まで辿り着きそうな強い絆を維持してヒロインの人生にも多大な影響を及ぼしますが、現実では高校生の時に付き合った相手とは数年経たずに別れて新しい相手を作ることの方が多いです。

そうした現実と同じで雪ノ下にとってヒッキーの代わりになる人間なんかもそのうち現れたりするというのが平塚先生の世界に対する認識。それでもヒッキーに雪ノ下のことに踏み込んでくれたらと願っている平塚先生は過去に色々あったんでしょうね。「俺ガイル」をラブコメと捉えるなら在学中に誰かと付き合うのが定番ですが、この平塚先生の先のことまで見て語る姿を見ていると、ヒッキーが誰かと付き合うのは高校生のうちにはないかもしれません。



「言ったらわかるっていうのは傲慢なんだよ」
言葉だけ与えられてもその裏を読もうとしたり、自分の思い込みで言葉の意味を歪めてしまい、相手の伝えたいことを必ずしも理解出来るとは限らない。言葉以外にも相手の生い立ちやその性格、仕種や表情も見ていなければ、相手の真意を理解するのは困難でしょう。それらがあったとしても本当に理解出来るかは分かりません。

だからヒッキーは言葉が欲しいのではありません。多分言葉による理解を越えた本物が欲しいのだと思います。例えそれがどれ程辛いものであっても、存在しなかったとしても。偽物の理解による甘いけれど欺瞞だらけの関係よりも、互いの真実の理解により作られる関係を望む。

分からないことは不安で怖ろしいことだから、本当のことを知って理解して安心したい。ヒッキーは過去に場の空気とか相手の気持ちが分からなかった所為で、色々勘違いして折本に告白したりと黒歴史を作ってきました。これはヒッキーが相手の気持ちを知らないからこそ起きた出来事です。中学時代に折本がヒッキーのことを超つまんない人間だと思っていたのも、見る側である折本がヒッキーのことを知ろうとしてこなかったのが原因。

全てを知っていれば筋道立てながら考えて様々なことに対処可能ですが、知らなければ何が正しいのか論理的に答えを出すのも難しいので、知ってもらうことより知りたいと願う気持ちは少し分かる気がします。無知は罪といいますし何でも知っていれば、何でもは行えないとしても判断を間違えることは減らせるのではないでしょうか。

それがあれば雪ノ下の行動の理由も分かり奉仕部もあの様なことにはならずに済んだのかもしれません。それすら可能にするであろう完全な理解を欲するところが、理性の化け物であるヒッキーらしいものですね。

感情なんて計算しても計算しても答えの出ない不確かなものをヒッキーは信じられません。計算して考えても理解出来ないものが感情ですから理解出来るはずがないのですが、それでもそれを理解して不確かでないものにしたいからこそ、ヒッキーはそれを理解する為に全てを知りたいと願うのだと思います。



「いつか、私を助けてね」
遊園地でヒッキーと雪ノ下が二人きりになっていた時のこのシーンが何だか物凄いラブコメっぽかった。留美を見ていた時に感じたヒッキーの言葉を借りるなら、ここで雪ノ下から助けを求められることは信頼されているからであって、それはヒッキーも雪ノ下も一人で生きられる人間である証拠なんじゃないかなと。これまでヒッキーに対して蔑むような冷たい言葉ばかり投げていた雪ノ下ですが、今巻ではヒッキーのことを認めている台詞が多かったように思います。

ヒッキーがまた自己犠牲的な損な役回りを演じるのではないかと由比ヶ浜が心配していた時に、雪ノ下の方はヒッキーの好きにすればいいと言ったのが印象に残りました。修学旅行中にヒッキーが汚れ役になり葉山グループの関係性を守ろうとした時、由比ヶ浜と雪ノ下はヒッキーのやり方を否定していました。

この時点では雪ノ下がヒッキーの何が気に入らなかったのか読解力が低い所為でいまいち分からなかったのですが、8巻と9巻を読んだ今なら何が気に入らなかったのかはっきりと言えます。由比ヶ浜とは異なり雪ノ下の方は、ヒッキーが汚れ役になることよりも上っ面の関係性を維持しようとしたことが好きになれなかったのでしょう。

あまり考えを整理せずに勢いで書いてしまったところもあるので、作品理解に間違いが多々あるかもしれませんが、そこは追々インプルーブしてクオリティを上げていければ良いかなと。