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安彦良和の望んだガンダム世界を受け継いだ「鉄血のオルフェンズ」

ガンダム生みの親が今のアニメに感じる疑問 | ブックス・レビュー | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

ガンダムの生みの親である安彦良和さんの最近のアニメのストーリーについての意見が興味深かったです。要約すると「最近のアニメはゲーム的に世界が主人公を中心に回り、何でも思い通りになって宝も女も手に入れて、最終的に神に近付く」「小僧の分際で戦争を語り、世界を変えられると言い張るが、世界は魔物で変えられるものではない」「ガンダムは善と悪もない戦争を戦争として描いた作品で、特別な人間であるニュータイプが世界を救う話ではない」というようなことを語られていました。この意見を聞いて真っ先に頭に思い浮かんだ作品は「鉄血のオルフェンズ」。

大勢の人達が同じ事を考えたと思いますが、「オルフェンズ」は安彦良和さんの考える最近のゲーム化するアニメ観を真っ向から否定し、彼の理解するガンダム世界を見事に描いた作品なんですよね。ここでは若者が世界から相手にされていませんし、命を懸けても宝も女も手に入りませんし、神に選ばれた特別な人間も存在しません。これまでのガンダムと比べるとガンダムらしさに欠けると言われることもありますが、上記の文脈で評価するならこれ以上ないくらいにガンダムの血を引いた作品であると言えます。

若者が破滅に向かう物語
「オルフェンズ」は1期と2期で根本的な部分は揺らぎませんが、物語の展開は大きく変わります。1期は宇宙ネズミやスペースデブリと蔑まれて道具のように扱われていたオルガ達が鉄華団を立ち上げ、火星独立運動の象徴であるクーデリアを地球まで護衛する依頼を受け、その旅の中でタービンズの名瀬やテイワズマクマードの力を借りて組織を大きくして地位や名誉を獲得します。

陳腐な言い方をするならヒロインを悪党の手から守り通す少年の英雄譚。古典的な物語は主人公が英雄として讃えられたところでハッピーエンドを迎えますが、「オルフェンズ」は「グレンラガン」と同様に英雄視された荒くれ者がその後の世界で転落する物語が展開します。分かりやすく言えば2期は1期で鉄華団が築き上げた居場所をひたすら失い続けるだけなんですよね。

その突き抜け方は凄まじい。鉄華団は兄貴分の名瀬やラフタを失い、その仇を討つ為に後ろ楯のテイワズと縁を切り、組織を維持する観点から止むを得ず、マクギリスと手を組んで運命共同体になります。そして鉄華団はマクギリスの無謀な革命に付き合わされギャラルホルンに刃を向けた挙げ句、オルガや三日月や昭弘と多くの命を失うこととなり、世界の秩序を乱す悪党として扱われてしまいます。

オルガはリーダーとして大切な家族である鉄華団の団員を守りたいだけでしたが、その家族を守る戦いは厳しく家族からビスケットやシノと次々に犠牲を出してしまい、家族の死を無駄に終わらせない為にも火星の王を目指して激しい戦いに身を投じる。オルガの不幸は三日月を始めとした周囲の圧力に背中を押されて、考える暇も無く自分の器を越える夢を追わされたことにある。もしもビスケットというブレーキ役が生きていれば、オルガは引き際を誤り鉄華団を崩壊させることもなかったでしょう。

2期が批判される点としてオルガやユージンを中心とした鉄華団の思考停止が挙げられており、それについては同意する部分も残念ながらあるのですが、個人的には鉄華団の批判されるべき浅慮な行動があるからこそ、クーデリアが求める子供達が平等に教育も受けられる社会に価値が生まれるとは思います。

嫌な言い方になりますが、クーデリアの理想に正統性を与える上で、鉄華団が悲惨な末路を辿る方が望ましいんですよね。知より力を選んだ鉄華団が英雄視されてしまうと、底辺から英雄に変われる機会を与える暴力の世界に魅力を感じる者も出てしまう。その意味で鉄華団には反面教師でいてもらう方が好ましい。


英雄幻想の解体
「オルフェンズ」において英雄の地位を失った者は鉄華団以外にもいます。それはギャラルホルン創始者であるアグニカの魂が宿るとされるガンダムバエル。バエルはギャラルホルンにおける権力の象徴であり、これを操縦する者はアグニカの魂に選ばれたギャラルホルンを統べる主になれると伝えられています。まるでおとぎ話で語られる王者を選定する剣のようなものなんですよね。

マクギリスはこのバエルの威光を用いてギャラルホルンで権力を手に入れるつもりでしたが、ラスタルにはバエルの威光は効果を発揮することなく、バルバトスと同等の高性能の機体としての意味しか持ちませんでした。そしてバエルに搭乗するマクギリスは「機動戦士ガンダムSEED」のフリーダムガンダムみたいな単機で戦局を左右する英雄的な活躍もしないままガエリオによって倒されます。

マクギリスの敗因は権力や財力を否定して純粋な個の力に拘りながら、バエルの威光を前提にした作戦を立てる矛盾した行動にあります。バエルが通用しない相手が予想を越える場合を想定しないからラスタルと戦う前に敗北が決定してしまう。青年期からのアグニカへの憧憬が目を曇らせたのでしょうね。バエルの威光を気に留めない合理主義者のラスタルが、マクギリスの理想とする身分ではなく実力で評価される社会を実現するというのは何とも皮肉な話。

ちなみに押さえておきたいのは、マクギリスは恐らく誰にでも倒せるであろうということ。ラスタルはマクギリスとガエリオの死闘を部下に邪魔しないように命じており、本気を出して集団で集中攻撃を行えば犠牲を出しながらも倒せます。マクギリスのバエルも三日月のバルバトスも昭弘のグシオンも数の力に敵わない。「オルフェンズ」において世界を変える神の如き力を持つ特別な人間は存在しません。

安彦良和さんが危惧した選民思想の物語へ繋がる要素は皆無。三日月や昭弘などモビルスーツを自由に動かす特別な力を持つ人間は登場しますが、それはニュータイプやコーディネーターといった新人類ではなく、禁忌とされる非人道的な阿頼耶識システムの手術を施された不幸な子供。彼等の望みは大人に使い捨てられる道具ではなく、自分の意思が尊重されて人間らしく生きられること。ただそれだけのこと。


人間の感情の肯定
「オルフェンズ」が一貫して描き続けたのは人間らしく生きようとする人達。その人間的な生き方は復讐も例外ではないです。平和な世界で生きてきた主人公達が当たり前の様に無意味と断じる復讐も「オルフェンズ」では意味を帯びる。何故ならヒューマンデブリであった昭弘達は、その無意味な復讐心さえ抱けない過酷な環境で生きてきたからです。仲間が殺される度に苦しんでいたら心が潰されてしまう。

ヒューマンデブリには自分を守る為に感情を殺して道具として生きる者が多くいますが、昭弘は鉄華団に入団して家族の愛を受けて感情を取り戻しました。昭弘が仇を討ちたいのは、彼が怒り悲しむ人間であることの証明。昭弘は仇を討ちたいなどのまともな感情を残す奴は戦場で生き残れないとガランに忠告されましたが、最後まで感情を捨てないでアストンやラフタの仇を討つ為に戦い続けました。

命令ではなく自分の意思で敵を殺してやりたい。復讐は復讐を生み出す故に断ち切らねばならないとはいえ、心の内から沸き起こる激情は誰にも否定されるべきものではない。最終回で昭弘はガランが予言した通り戦場で若くして散りましたが、その生き様は短くも花火の様に輝いていました。ヒューマンデブリの誰にも悲しまれることなく捨てられる命が、消えた仲間の無念を晴らして残された仲間の未来を切り開いた。昭弘の最後は悲劇ではありましたが、無価値ではありませんでした。昭弘はヒリヒリと生き様を、その為に死ねる何かを、この時代に叩きつけてくれました。

taida5656.hatenablog.com
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