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「モアナと伝説の海」魔女を倒す英雄も守られるプリンセスもいない

Moana/ [Blu-ray] [Import]

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最近のディズニーアニメは「ベイマックス」や「ズートピア」を見れば分かるように観客の予想を外そうとして物語が二転三転する傾向が見られますが、「モアナと伝説の海」は上記作品と比較すれば終盤に意外な真実が明かされる以外はストレートな構造の物語でした。島の外に出たい夢と村を救う大義が重なりマウイを探す為の旅に出たモアナ、基本的にモアナとマウイが旅を通して精神的に成長する物語。

3DCGによる本物以上に本物に見える壮大な自然の美しさには心を奪われましたが、物語に関しては大傑作「ズートピア」と比べて些か弱い印象を受けました。個人的にキャラも微妙でモアナは海に出たいと言う割には航海の方法を陰で勉強していないし、モアナはマウイに従来の王子様を待つだけのプリンセスとして見られることを嫌がりますが、夢を叶える努力をしている姿が見えない点でプリンセスと変わらなくて、不可能と言われても決して諦めず前に進むジュディのように応援したいとは思えませんでした。ただ「モアナと伝説の海」はモアナとマウイの成長が中心ですから、序盤が残念に見えるのはスタッフの狙い通りという気もします。


他者を必要としない自由な生き方
先程はモアナは従来のプリンセスと変わらないかの様な書き方をしましたが、それはあくまで自分の主観で作中におけるモアナの役割は決してプリンセスではありません。ディズニーは大衆に受ける事を意識している故に考え方が保守的で白人男性に都合の良い作品が多く、過去には黒人に対する差別的な描写を批判された経験もありましたが、男女平等を推し進める近年のアメリカの作品だけあって「モアナと伝説の海」も女性が男性と同様の活躍をしています。

それは女性であるモアナが父親から次の村長になるように命じられていることにも表れています。モアナに与えられた使命は村人を守ることであり、女性だから結婚して子供を産んで家を守れなんて言われたりはしません。今時の作品らしい展開は他にも幾つか見られるのですが、個人的に凄く良いなと思えたのはモアナとマウイが共に暮らさないこと。「アラジン」や「美女と野獣」など数十年前のディズニーでは苦難を乗り越えた男女が結ばれて幕を閉じるのが物語の基本型でした。

ところが「モアナと伝説の海」ではモアナとマウイは結婚しなければ、「ズートピア」のジュディとニックみたいにバディを組んで行動もしません。親に捨てられ孤独に生きたマウイなんかは人々からの愛に飢えていたので、モアナとの冒険を終えた後は彼女の村に迎えられてもよさそうなものですが、あえて他者と距離を置いて孤高に生きる道を選択します。その答えは単純でマウイはもう他者を必要としないからです。

マウイが抱えていた孤独感と自意識の問題は旅を通して無事に解消され、モアナと過ごした日々は思い出としてマウイの記憶と肉体に刻まれた。それさえあればマウイは昔のように人々の望みを叶えて英雄視されるなどの他者承認が無くとも生きる力が湧いてきます。マウイが本当に自立したと観客に伝える為にもモアナと村に住んではならない。別れても心に残せるものがあるなら構わないというのは「Fate」を思い出します。この安易に仲の良い男女を結婚させない展開に好感が持てますね。

人と人との関係は共に生きて愛し合う以外にもあります。大切な人から学んだ知識を次世代に継承することは相手を生かして人生に意味があると肯定することでもあります。モアナにはマウイから伝授された航海の技術が残されており、それは彼女を通じて村人に共有されていきます。マウイと離れて暮らしても彼と共に過ごした日々は無駄にはなりませんでした。ちなみにモアナがマウイから与えられた贈り物が他所から奪われたものではなく、彼自身の持つ知恵なのは大きな変化だと思っています。


神の掌で踊らされるモアナとマウイ
マウイが大昔に盗んだ命の女神テ・フィティの心を返して世界を元に戻す。それがモアナとマウイの旅の目的で、その道中に溶岩の悪魔テ・カァと戦います。実はこのテ・カァの正体が心を奪われたテ・フィティで、テ・カァは自分の心を取り戻そうとしていたと終盤に明かされます。この衝撃の事実を聞かされて、ある疑問が湧きました。それはモアナとマウイがテ・フィティの心である石を返しに行かなければならないのかということです。というのも石には意思と不思議な能力があるらしくて、海を操りモアナの場所まで自力で移動してきたり、役目から逃げるマウイを捕まえたりします。これだけ自由に動けるなら石が本気を出せば目的地まで行けそうなんですよね。

テ・カァは理性を持たない化物に見えて、その行動原理は無くした心を取り戻す事にあり、その証拠にモアナがテ・カァの胸に石を戻す際には大人しく受け入れます。テ・カァがモアナとマウイに攻撃していたのも彼等が真実を知らずにテ・カァから逃げていたせいなんですよね。これらの情報を合わせるとテ・フィティの心が海から飛び出してテ・カァの胸に戻ろうとすれば解決したのではという気がしてならない。

それが可能だと仮定した場合、モアナとマウイの旅は世界を救う意味では本来必要の無いもので、あれは彼等を成長させる為にテ・フィティの心が無理矢理やらされたものと考えられます。目的がそれだから海を操る力を持つ癖に変な所で非協力的な姿勢を貫いていたのでしょう。ちなみにテ・フィティの心が世界を戻す役目をモアナとマウイに任せて、長年海底でふらふらしていた所為で沢山の島々が滅んだみたいです。マウイを成長させる為にそれ程の犠牲が出ても気にしない価値観は非常に神様らしいですね。

ちなみにこの作品は敵を倒す場面は基本的に見られません。カカモラ戦もタマトア戦もテ・カァ戦も逃げるばかりで、悪い奴を倒してめでたしめでたしにはならないんですよね。冒険譚では派手に倒す方が観客に爽快感を与えるのは目に見えているはずなのにしない。戦うべき相手は悪役ではなく己の弱い心。このマウイという男性を悪役を倒す英雄にしない点も昔のディズニーと違いますね。

ところでTwitterをしていたら「モアナと伝説の海」がギルガメッシュを召喚した衛宮士郎の物語に例えられて話題になっていたんですが、個人的にはキャラの能力も性格も似ているとは思えなくて発言の意味がさっぱり分かりませんでした。同意する人が多いので共通点はあるはずなんですけど見当もつかない。

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