アニメごろごろ

楽しんで頂けたらツイートなどしてもらえると喜びます。

キャラの顔を変えて印象操作をする「HUNTER×HUNTER」


ハンターハンター」ではキャラの顔の描き方が初登場から数ヵ月も経過すれば変化します。早い時には登場してから、1ヶ月も経たない内に変えられる為、外見の変化は通常の連載の長期化による絵柄の変化と違い、冨樫先生が意識して変えているのでしょう。

何故顔の描き方が変わるのか。冨樫先生が上述した表現を行う訳は、読者がキャラに対して抱くイメージを自分の望む方向に誘導する狙いがあるのではないでしょうか。突然、そんな抽象的な意見を書かれても、大して伝わらない気がしますので、具体例を挙げて話していきます。

上記画像の左上に映る初登場時のゲンスルー。眉や眼が垂れて何だか気が弱そうな顔をしています。しかし、彼の凶暴で好戦的な本性が明かされてからは、眉や眼は垂れたままではありますが、身に付けた眼鏡が丸型から逆三角形に突如変形します。

どうして眼鏡の形状が変わるのかはさておき、この鋭く形を変えた眼鏡の力で、吊り目と同様にゲンスルーの性格がきつそうな印象を読者に与えてきます。

次に画像の左下に映る初登場時のナックルですが、こちらは逆に狂暴そうな印象を最初に与えてきます。画像の右下ならまだしも左下のナックルを見て、主人公達と共に戦い死線を潜り抜ける熱い男だと感じる読者は少数ではないでしょうか。

一般的に人間は相手を詳しく知らない状態では、外見を基に自身の経験と照らし合わせて性格等を勝手に想像します。例えばファッションセンスが無くて黒い服を着ていれば、人前に出ることに関心が薄いオタクである。金髪ツインテールならツンデレで、黒髪ロングなら清楚である。そんな風に外見から相手の人柄を勝手に想像した経験は、誰でも一度くらいはあると思います。

外見から導き出される性格のイメージ。それが不特定多数に共有されると、例えば作者がツンデレのキャラを作る際に、分かり易さを重視して金髪ツインテールという記号の使用を考えるようになります。これに関しては卵が先か鶏が先か的な疑問は尽きませんが、今回の件では些細な問題であるので流します。

それでは「ハンターハンター」に話を戻しますが、冨樫先生は上記の様なキャラの人柄を想像しやすい記号を利用して、読者がキャラに持つイメージを意識的に操作してきます。そして、そのキャラの人柄が物語を通じて明かされた頃、デザインを大胆に変更するんですよね。

先程の例で言えば、キャラがツンデレの様に描かれていた時には金髪ツインテール、そしてツンデレでは無い事が判明した途端に黒髪ロングに変える。説明する為に非常に極端な例え話をしましたが、冨樫先生は根本的にこれと似た様な手法を用います。

その手法を用いた具体例な例を挙げるなら、キメラアントであるメレオロンやユピー。初登場時には動物の遺伝子が感じ取れる化物らしい顔の描き方でしたが、他者に対する愛情等の理解不能な化物とは異なる人間らしい感情を見せた後は、全体的に表情も和らいでゴンやキルアみたいな温かみのある顔の描き方になりました。

作中での立場が人間の脅威となる化物から人間と何も変わらない生物に変わる。それに合わせて顔の描き方も変更されるんですよね。ちなみにデザイン面に変化が無いキメラアントも中にはいます。それがレオルと途中で名前を変えたハギャ。改名しても中身に成長が見られないハギャは死ぬまでハギャのままでした。


冨樫先生はこうしたキャラの状況に応じて描き方を変えるのが好きみたいなんですけど、これには冨樫先生の読者の持つ価値観を壊す作風が影響しているのではないでしょうか。

幽遊白書」の仙水編ではそれまで善として描かれていた人間の方が実は悪とされていた妖怪よりも醜いものだったとされ、「レベルE」では好戦的で数多くの生命体を滅ぼしてきた宇宙人が野球観戦が大好きで地球人には異様に優しかったりと、初見で受ける印象と様々な情報が明かされた後に受ける印象が違うことが多々あります。これが冨樫作品の面白さの一つだと思います。


この読者の価値観を引っ繰り返す快感を効果的に作り出す。それには落差を大きくする準備が重要になります。例えば善悪の逆転を起こすのであれば善行は命を懸けて他者に尽くさせておいて、悪行は相手の尊厳を踏み躙り惨たらしく殺すという風に描けば効果的。先程説明したのはキャラの行動の変化についてですが、この範囲をデザインにまで広げたのが冨樫先生。

あるキャラを最初悪人に見せたい時には悪人っぽいデザインにして、善人だと明かす時には善人っぽいデザインに変化させることで落差を大きなものにする。多かれ少なかれ漫画家であればこうしたことはやっている技法ではあります。赤松健先生や荒川弘先生あたりは基本的にキャラの持つありのままの姿を客観的に描きますが、冨樫先生や小林尽先生は何らかのフィルターを通して歪めて描いていますね。

ところで状況に応じてキャラの描き方を意識的に変えている冨樫先生ですが、あるキャラに関しては初登場から退場までその描き方をあまり変えていません。それは誰かというとキメラアントの王であるメルエム。物語が進むと優しい顔付きに変わる傾向は見られるのですが、その他大勢のキメラアントの様な劇的な変化は見られません。

メルエムはコムギとの勝負を通じて内面的には相当変わったはずなんですが、デザインには性格の変化に伴うデザインの変更は見られないんですよね。人と蟻の間で揺れる心を反映するかのように、その場その場で顔が変わることはあっても根本的な部分は揺らぎません。

蟻編の最大の見所であるメルエムの魂の在り方が変わる過程、そこは時間を掛けて丁寧に描写して読者に伝えたい。だからあえてデザインの変更による印象操作という力技を控えた。そうした意思が冨樫先生の胸の中にあったのかもしれないですね。
taida5656.hatenablog.com
taida5656.hatenablog.com