アニメごろごろ

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物語に合わせて画風を変える相田裕先生

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

GUNSLINGER GIRL 1 (電撃コミックス)

人を殺す道具として生きる少女達と復讐に人生を捧げる男達の物語「ガンスリンガーガール」から、何者にもなれない日々を生きる少年少女達の物語「1518」へと舵を切る相田裕先生。両作品は喪失を経験した者達が悲劇を受け入れ、次世代に希望を繋いでいくという根底に流れる思想は共通していますが、表面的な部分は同じ人が書いたとは思えない程に変わりました。

「1518」は「ガンスリ」の様に銃が出なければ血も流れません。命が軽く扱われてしまう全編に漂う重く暗い空気は綺麗に消え去りました。相田裕先生はそうした物語的な部分で変わり続ける作家ですが、コマ割や構図等の演出的な部分における変化も大きく「ガンスリ」の前半と後半を比べても差は随分と見られます。



戦闘シーン以外では台形のコマは殆んど見られず、長方形のコマを中心とした画面構成。1巻のそれは例えるならテレビ画面に映される映画のワンシーンをそのまま漫画に嵌め込んだかのようです。コマ割は変化に乏しく機械的で無機質、その在り方は感情を表に出さない復讐者や兵器にも似ています。

この他にも連載初期は打ち切りから逃れる為か、台詞をとにかく詰め込んで1話あたりの密度を高めていて、情報量を増やした代わりに台詞が小さく読み難いところがありました。上記の表現は1期生と担当官の先の無い関係性を描いた頃には多くありましたが、2期生が登場して政治的な背景が語られ、大きな物語が動き始めるに連れて少しずつ変わります。


最終15巻では全体的に台詞の量が減り、ご覧の様に会話時に台形のコマが使われたり、ページの上から下まで伸びた縦長のコマが使われています。コマに色々と変化を付けたおかげで昔と比べて大分読み易くなっていますね。台詞が少なく文字を大きくする余裕が生まれたのは、アニメ化して人気が出てゆっくり話を進められるようになったおかげもあるでしょうが、相田裕先生が無駄な台詞を減らす技術を磨いたこともあると思います。

読者に文字だけで伝える小説の場合は、長台詞を入れても句読点をしっかり付けていれば、そこまで大きな問題は起きません。しかし漫画では長台詞を入れてしまうと大きな吹き出しがコマを圧迫して見せるべき絵が隠れるか、吹き出しに収まるように小さくした文字が読み難いという問題が起きます。電子書籍ではあまりにも小さい文字は潰れて読めない場合があるので、台詞を短く抑えて文字を大きく見せる技術は大切ですね。これは読者の視力を低下させない意味で本当に重要になってくるので、今後の漫画家が意識していくべきところでもあるでしょう。


「1518」になると手で書かれた文字が増え、背景に建物ではなく効果線を描くことも増えます。ヨーロッパの街並をリアルに描写して重厚な世界観を作り出した「ガンスリ」と比較すると演出の方向性が明らかに違います。「ガンスリ」は建物や大空を描く際にはコマの隅々まで映画的に丁寧に描き込みますが、「1518」はそうしたことはしないでキャラの周辺にあえて何も無い空間を作る場合も結構あるんですよね。線の太さ、台詞の形状、背景の描き込みをここまで大幅に変える漫画家は珍しい。

「1518」は背景を細かく描き込まないでデフォルメも用いますが、そうした軽い画が平凡な高校生の日常感を出して、読者にノスタルジーを感じさせるところはありそうです。誰にでも起こり得る日常の世界を描いた「1518」は、読者が自身の人生と照らし合わせて味わう行為に意味がある作品なので、「ガンスリ」みたいに写実的に目に映る全てを正確に描き出して作品の見方を一点に固定化してしまうよりは、あえてぼかして読者に各々の人生を思い出し想像させる隙間を残してあげる方が良いかもしれません。

相田裕先生は「よつばと」のあずまきよひこ先生と同様に、この辺のリアルとデフォルメのバランス感覚が優れた作家ですね。個人的に「ガンスリ」から「1518」に進む中で相田裕先生が最も変化した部分を挙げるとしたら、それは絵柄や構図で物語に緩急を付ける漫画家にとってのチェンジオブペースではないかと思います。本当に演出が別物なので「ガンスリ」と「1518」は機会があれば読み比べて見て下さい。

taida5656.hatenablog.com
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