アニメごろごろ

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「龍の歯医者」無価値な世界を生きる意味

龍の歯医者」は前編後編合わせて90分と短い時間でしたが、少年の冒険を通しての成長や生と死に関する哲学的な話、奇怪な虫歯菌を除去する龍の歯医者の仕事風景など見所が沢山ある名作。「天空の城ラピュタ」を観た時の様な高揚感は得られませんが、独特な世界観と落ち着いた雰囲気が魅力で噛めば噛むほど味が出る感じの作風。4月に再放送があるそうなので、逃した方はこの機会に見ましょう。


自分の生き方は自分で決めろ
人間は生きている以上は選択を迫られ決断しなければなりません。それは食事を摂るか摂らないかというものから、敵兵を殺すか殺さないというものまであり、決断には責任と覚悟が求められます。例えば悟堂はベルを軍隊に捕虜として引き渡すかどうか決断を迫られましたが、ここでベルを引き渡して戦争に有用な情報を聞き出させると、味方の兵士は無駄に死なない代わりに敵の兵士は余計に殺されてしまいます。

味方と敵は単純に所属で分けられているだけで、そこには善人と悪人の区別は有りませんから、戦争に手を貸す事は善人も悪人もまとめて殺しているのと変わりません。その残酷な世界の理を悟る悟堂は味方が殺される覚悟をした上でベルを引き渡さない道を選びます。この様に「龍の歯医者」では登場人物が色々な決断をしていきます。野ノ子は龍の歯医者を死ぬまで続ける道を選び、ベルは龍の歯医者にならない道を選び、柴名は龍の歯医者を裏切り運命に抗う道を選びました。

野ノ子は理屈ではなく直感で判断して生きている少女。彼女が龍の歯医者を始めた理由は白い飯を食べる為ですが、それを続ける明確な理由は特に語られていません。龍の歯の中で自分が死ぬ時を目の当たりにしてもそれに抗わず、自分の人生がどうあるべきかを自然と感じ取り、死が訪れる時まで龍の歯医者として仕事を全うしようとします。野ノ子は龍の歯医者になってから日は浅いですが、あらゆる場面で自分の身の安全を考えるよりも、まず龍の歯を守る事を第一に動ける姿は職人的で格好良いですね。

龍の歯医者達の運命の奴隷にされた生き方は死から逃れたいと考えるベルには自殺と同じに思えて共感が難しいようでしたが、龍の歯医者を続ける事に特に悩まず矜持を持てる野ノ子の生き方にベルは美しさを感じ取りました。野ノ子の美しい生き方については子供の頃にベルを溺れされた馬の姿に重ねて例えられていましたね。個人的に野ノ子がポニーテールなのはそこに由来するのかなと思っています。「トップを狙え2」のノノみたいに細かい事を気に留めないで自分の道を迷わず進める野ノ子は、色々と考える割に周囲に流されるまま軍人になっていたベルには輝いて見えた面もあるのでしょう。


ベルは野ノ子とは逆に考え過ぎる少年。主体性が希薄で臆病な性格なんかは「エヴァンゲリオン」のシンジを連想します。ベルも戦いから逃げる姿が描かれているのですが、シンジのそれと比べると随分と肯定的に描かれていました。誰かの命を奪う事が嫌で戦わないと決断する事もまた立派な決断で決して逃げてはいない。その様に描けた理由は戦争が起きている「龍の歯医者」の世界に絶対的な正義が存在しないからだと思います。

使徒や宇宙怪獣みたいな分かり合えない人類共通の敵がいた場合は、戦わなければ人類は生き残れないので逃げる奴は駄目だと烙印を押されやすいですが、広義的に見れば同族殺しとされる戦争では正義も悪も無い為に戦える人間が立派であるとは一概に言えません。その証拠に「龍の歯医者」では戦場に立つある意味で勇敢な兵士の殺意は、敵味方問わず大勢の兵士の命を奪う虫歯菌を育ててしまいました。兵士の殺意を糧にする虫歯菌が兵士の命を奪い、兵士に新たな殺意を持たせてそれを殺して虫歯菌はさらに成長します。その虫歯菌による殺意の連鎖を止められるのは、殺意を持たない龍の歯医者と臆病な兵士だけ。

この展開は殺戮の連鎖を断ち切るのは臆病な人間という風にも捉えられます。ベルは最後まで銃の引き金を引けないのですが、その姿は今までと似て非なるものでした。臆病者である事を認めて殺される覚悟を持ちながらブランコの前に立ち塞がる。誰も殺せない臆病者な癖に流されて軍人になった時のベルはここにはいません。基本的に戦えないヘタレの成長は戦える様になる事で表現されてしまい、シンジやポップやシモンもそういう方向で成長しましたが、「龍の歯医者」ではそれ以外の非暴力を貫き通しての成長が描かれ感心させられました。


想い人の竹本の喪失を機に運命に抗う道を選んだ柴名。目的の為に仲間を裏切るなど自分勝手な悪役ではあるのですが、運命に屈しない逞しい生き方は魅力的で個人的には憧れます。大切な人を甦らせる為に周囲を巻き込む悪役は色々といますが、柴名は彼等と違い龍の歯医者の事も何だかんだで大切にしています。

野ノ子が銃口を向けられた時には前に出て庇おうとしますし、自分の邪魔をする龍の歯医者を敵視して殺そうとする気はまるで無いんですよね。龍の歯医者に対してはその役目から解放してあげようとしている節もあります。柴名が憎んでいるのは残酷な運命と龍の歯医者を生み出す仕組みそのもの。本人は人間を辞めた心の無い化物を自称していますが、生きる事への執着を捨てず己の感情に素直な姿は龍の歯医者よりも人間らしいですし、誰にも理解されないとしても世界を変革しようと孤独に戦う姿はダークヒーローの様で綺麗に思えました。

閉鎖的な社会の風習に逆らう人間は秩序を乱す者であると同時に変革をもたらす者でもあり、竹本を甦らせる事に失敗しても挫けずに新たな方法を探そうとする柴名みたいな人間が、少年漫画の主人公の様に世界を変える偉業を成し遂げられるのかもしれません。「龍の歯医者」はこの生と死に対して価値観の異なる3人のドラマが絡み合い、相互に干渉して物語に深みを与えていました。

トップをねらえ2! Blu-ray Box

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人間は何の為にこの世に生を受けるのか、生きる事に意味はあるのか。「龍の歯医者」では龍の歯の中で自分の死に際を見せられようと、その光景を天命として受け入れる変わり者の龍の歯医者が描かれています。彼等の異質な死生観がこの作品の持つファンタジーとしての大きな魅力。

死を恐れて治療など様々な方法を用いて延命を望む人間からすると、自分が何時頃に死ぬかを知りながら抗おうとしない龍の歯医者の生き方は不思議に見えます。天狗虫に殺された仲間の死をキタルキワが訪れたと言って祝福する文化は、ベルの様に天寿を全うする前に命を落とす事を悲しいと感じる人達には共感が難しいかもしれません。

普通に考えれば天狗虫に殺された修三の死は悲劇ではあると思いますが、龍の歯医者を死ぬ時まで続けた人生については肯定されて祝われてもいいと思います。普通は自分の寿命が数年しか残されていないとしたら、余生を自由に遊んで過ごしても不思議ではありませんが、修三はそうした楽な道を選ばずに最後まで龍の歯医者の役目を果たしました。仮に仕事に生きる喜びを感じていたとしても、この生き方は誰にでも真似が出来るものではないですよね。

どうせ人間は誰しも遅かれ早かれ死ぬ生き物なんですから、当たり前に訪れる死を皆で心を痛めて嘆き悲しむよりも、立派に働いた事を讃える方が死んだ者も浮かばれるというもの。客観的に判断して運命に従わされる龍の歯医者が選んだ道が正しいかどうかは分かりません。けれど少なくとも龍の歯医者はその道に意味があると信じて生きています。運命を変える気の無い龍の歯医者の在り方を否定するベルの気持ちも分かりますが、それは死ぬ事を承知の上で龍の歯医者を選んだ修三や野ノ子の覚悟を否定するのと変わらない。

人間は何時か死ぬ。それは誰にも覆せない運命ですが、生きている間に何を成すのか、それは自分の意思で決める事が出来ます。自分の舵を自分で取る事が重要なので、別に立派な功績を残せないとしてもいいんですよね。毎日仕事をして食事をしながら死を待つだけの変化に乏しい人生だとしても、それが考えた上で出した答えであれば構いません。野ノ子はその将来の事を深く考えずに目の前にある日々の充足を求める派で、その生き方はある意味で刹那的な快楽主義者と言えます。

将来の事を想像しない人間は選択を誤り人生を駄目にする場合も多いですけど、人生とは目の前にある今を積み重ねて成り立つものですから、野ノ子みたいに今を大切にして楽しんで生きる姿勢も人間にとっては欠かせません。将来の死に不安を感じて悩み過ぎた挙げ句に、その場に踏み留まり動けない人生を送るよりもよほどいい。戦争を見ても分かる様に世界は複雑で万人が納得する正しさなんか無いのですから、自分が生きる意味も悩み過ぎず自由に決めていけばいいんですよ。

人生の価値の有無を判断する基準も自分で決める。その基準すら他者に委ねる人間は、自分の人生を生きているとは言えませんし、物質的に恵まれても精神的に奴隷なので本当に充実した人生は送れません。ベルは昔は裕福でも自分で何も決められない人生を送っていましたが、野ノ子に会えた事で人生の意味を見つけられました。自分の意思で行動した結果としてベルは命を落としたものの、その人生は充実した価値のあるものであったと思います。

taida5656.hatenablog.com
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