アニメごろごろ

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「甘々と稲妻」アニメが原作と異なる4つのポイント


原作が漫画のアニメでは台詞や表情や構図を原作と完全に一致させる傾向が強いです。それは妙な改変をして原作ファンを落胆させない事などが理由にあるのですが、ファンの批判を恐れずに大胆に原作から変えるアニメも存在します。それが現在放送中の「甘々と稲妻」。物語の大きな流れに変更はないのですが、その他の細かい部分が違うんですよね。


カットされたモノローグ
上記の画像に見られる声には出ていない台詞がアニメではカットされています。例えば原作では小鳥が犬塚先生と料理をするうちに「先生の方が私を好きになったらどうしよう」と勝手に考えて照れる場面があるのですが、その心情は声には出されていない為にアニメでは完全に消えました。

岩崎太郎監督の指示だと思いますが、このアニメではキャラが頭の中で何を考えているのかは見えない様にしているので、視聴者は作中の出来事を傍観者的に外から眺める事しか出来ません。


表情の変化を抑える
アニメが原作と違う点としてはデフォルメの少なさも挙げられます。原作の1話ではコミカルな雰囲気を出す為にキャラの目が白い丸で描かれる、寝ているつむぎが大きな鼻ちょうちんを作る、爽やかなキャラの周囲に星を飛ばすなどの表現も用いています。

上記の画像でいえば原作は顔に縦線を入れるという非常に漫画的な技法で小鳥の不安を表現していますが、アニメではそれの代わりに小鳥の瞳のハイライトを僅かに揺れさせるアニメ的な技法で不安を表現していました。

モノローグのカットといいデフォルメを避けているところといい、1話の絵コンテと演出を担当した岩崎監督は写実的な表現を中心に作ろうとしているみたいですね。それを選んだのは題材が料理や育児といった現実的なものだからなのだろうと思います。


台詞の追加と変更
原作では描かれていない部分を膨らませたアニメでは台詞もそれに伴い増加。感覚的には2割は増えている気がします。印象に残ったのは小鳥が米に日本酒を混ぜるところ。

犬塚「でもお酒は…子供が食べるので」
小鳥「大丈夫ですよ、先生。炊いている間に熱でアルコールは飛びますから」

漫画以上に規制が厳しいアニメではこうした説明を入れないとクレームが来るのでしょうね。この様に細かい部分で台詞が追加されています。追加以外に台詞の変更も何ヵ所か見られ、アニメでは料理を待つ間に小鳥が自分のクラスの生徒と気が付きますが、原作では小鳥にご飯を一緒に作りませんかと言われた次の回で気が付きます。

原作はページの都合等から犬塚先生と小鳥の関係の説明を後にしたのだと思いますが、現実的に考えると料理の待ち時間に気が付いた方が自然だと思います。こんな風にわざわざ変える必要があるのか疑問に思う様なところまでも変えているんですよね。これらが功を奏するのかは判断に悩みますが、スタッフが何も考えずにただ原作をなぞるだけのアニメを作る気が無い事は伝わってきました。


アニメの流れに合わせて変わる構図
台詞と表情が変更された事は既に書いたので、最後に構図について書いていきます。画像は上から順に小鳥を幼稚園に送る場面、高校の職員室から出て廊下を歩いている場面、仕事を終えて自宅に帰る場面になります。原作に描かれているのは真ん中だけですね。ここはアニメは左から右に歩いていますが、原作では逆に右から左に歩いています。

この場面で進行方向を左から右にした理由は、その前後の流れから推察が可能です。基本的な技術として心理的や状況的に前に向かう時には左に進ませ、後ろに向かう時には右に進ませるというものがあります。

ちなみにこれに関しては例外が多数見られますし、原作がそうである様に必ずしも従がう必要はありません。さてこれに従えば幼稚園は向かう場所なので左向き、自宅は帰る場所なので右向きにするのが正しいです。

肝心の廊下を歩いている場面が右向きである理由ですが、これは犬塚先生の置かれている状況にあると思います。丁度この場面で犬塚先生が半年前に妻と死別した事が語られ、曲調もそれまでの明るいものから寂しいものに変わり、雰囲気は負の方向に向かっています。

その印象を強める為に右に進ませたのではないでしょうか。ちなみにこの直後に車で自宅に帰ろうとする場面に移りますが、その時の表情はつむぎを待たせている心配と罪悪感からか、つむぎを幼稚園に送る時と比較すると元気が無いんですよね。

甘々と稲妻」は現時点ではとてもいい具合にオリジナルの要素が入れられているので、このまま最終回まで進んで良作のアニメになる事を期待しています。