アニメごろごろ

楽しんで頂けたらツイートなどしてもらえると喜びます。

「スピリットサークル」最終6巻感想

スピリットサークル」の最終巻を読了。フルトゥナとコーコの魂を癒す物語もついに終わりを迎えましたね。最初に幽霊や輪廻転生など非科学的な話から始まり、途中から霊次元や霊燃転換式と科学的な話になり、超常現象が説明される流れは「新世界より」や「ISOLA」など貴志祐介作品を読んだ時のような面白さがありました。

ヴァンや方太郎のある男の一生を見るだけの過去生も楽しめましたが、フルトゥナのそれまでの謎が幾つも繋がる過去生はその何倍も楽しめました。あれを見てから読み返すと印象が変わるところも多かったですね。その話は後に譲るとしてここからは各章の感想に移りたいと思います。


第二章 フォン
村の繁栄を祈る名目で生贄を殺して神様にその心臓を捧げた神官、生贄の儀式を行う神官を殺して勇者フォンにその血を捧げた村人。血が流れる事を否定して儀式を止めたはずなのに、神官を殺して儀式と同じ事を繰り返す村の在り方は、その後に何度も殺し合いをするフルトゥナとコーコの運命を予感させるものですね。

儀式に乱入したフォンはあっさりとストナに殺されてしまいましたが、この力の差は戦士として生きてきたコーコの経験が影響していたのかもしれません。フルトゥナの時と同様にレイを守れなかったフォンの後悔が、ヴァンの騎士に対する憧れにも繋がるのだと思います。

フォンは精霊から薬の知識を得られたおかげで、レイの母親の病気を治すなど戦士とは違う形で守る事が出来ましたが、この力があると周囲の人間から悪魔と見なされてしまい、運が悪ければ黒髪の魔女みたいに殺されていたかもしれないんですよね。

ストナなんかは折角無意味に生贄を殺す汚れ仕事から、薬で皆を助けられる仕事に就けたのにあんな最後を迎えてしまい本当に可哀想。幸運にもフォンがそうならずに済んだのは、精霊と話す姿を目撃したレイが秘密を誰にも話さないような子だったから。

どうでもいい細かい話になるんですけど、村人全員がフォンやレイみたいに靴を履いていないところを見ると、あの村では靴は誰もが持てる訳ではない贅沢品であるとかそういう設定でもあるんでしょうか。もしそうだとするとサンダルをプレゼントするのは特別な意味が込められてるのかも。



第三章 ヴァン
第二章で大切な者を奪われる痛みを教えられたフルトゥナの魂が癒される旅はここから始まります。ヴァンは魔女に捺された頬の印が原因で憧れの騎士にはなれなかった代わりに、親友との楽しい時間やレイの笑顔を手に入れました。向上心を持たずに酒を飲んで毎日を無為に過ごす生き方は、研究馬鹿のフルトゥナからしたら愚か者のする事にしか見えないでしょうけれど、そこには決して惨めではない幸福がありました。

騎士を諦めたからといってそこで人生が終わるわけではありません。諦めたところから新たに始める人生もあります。先週に書いた記事でも力説していた話になるのですが、水上作品の「諦めたらそこで試合終了ですよ」とはならないで、諦めてからの長い長い人生で得るものの大きさを教える作風が大好きです。



第四章 フロウ
スフィンクスの出来に不満を持ちだらだら生きる第四章、この物語が存在する意味が分からなかったのですが、あとがきの退行催眠の話を読んだら納得したというか謎が解けました。これは水上先生が考えて書いた話ではないので、物語全体の構造から意味を読み取り難いのは当たり前。まさかこれをやる為に生まれた「スピリットサークル」が作られたとは思いませんでした。

殺し合いも起きずに名声も得られたフロウは、世間的には勝ち組と呼ばれる人生を歩んでいましたが、個人的にはこれが最も不幸な人生に感じられました。フロウは前世で親友であったアルボルとクティノスとは殆んど関わりが持てず、スフィンクスさんなんて気に入らない像と同じ呼ばれ方をされる。

そのスフィンクスのせいでオヤジの死に目には会えず、アルボルもロカもハラーラも殺されてしまう。スフィンクスさんでも図書館さんでもない、本当のフロウを見ていたリハネラが側にいたのに、それに気付けずに大切にしてあげられなかった。そんな孤独と後悔だらけの過去生。



第五章 方太朗
方太朗と岩菜の憎しみを和らげ繋げる役割を担う朱里。次章でもその役割は引き継がれてラファルとラピスを夫婦にするのですが、第八章になると鉱子と恋のライバルになるのは何だか面白いですね。死後も璃浜姫を守る為にこの世に留まり続けた大林先生は、風太スピリットサークルによって無事に還光されましたが、これなんかはスピリットサークルの正しい使い方だと思います。

スパスシフィカがスピリットサークルを持つフルトゥナに「お前達にはまだ早い」と言うだけなのも、大林先生の時と同様に誰かを助けるのに使える道具だからなんでしょうね。ところでテツとダイキが刃九狼と和尚と似た部分があるのに対して、ウミは璃浜姫と似ている部分が見られないですよね。ウミが運動得意なのはリハネラともリフルとも関係が無さそうですし、メインキャラの中では性格を含めて最も過去生との繋がりが弱い印象。

第六章 ラファル
SF的な方向に物語が進んだここからは、それまでのものとは別種の魅力が詰め込まれています。世界を滅ぼしたかのように思えたブラックホール爆弾は、暗黒盆地を見る限りは被害はかなり小規模に抑えられたみたいですね。第六章は初めて手を取り合うラファルとラピスの話も感動しましたが、嫉妬を捨てたアッシュの話が素晴らしかった。

兄弟子でありながらフルトゥナに追い抜かれて劣等感を抱いたフランベ、追い抜かれてからは次男として生きる運命に縛られ怒りに燃える火次朗、それでは駄目だと反省して憎しみの火は燃え尽きアッシュとなる。火を意味する言葉が名前から消えた事にも彼の成長が感じ取れますね。アッシュの名前の意味を某所で聞いた時には目から鱗が落ちる思いでした。

ラファルを嫌いながらも感情に支配されずに自分の心を落ち着かせて、世界の滅びを止める為に抗い続けたアッシュの姿に感動します。語られていないだけでフルトゥナと同様にフランベも生まれ変わる度に、色んな人達との出会いを通して大切な事を学んでいったのでしょうね。



第七章 風子
これといって特に書きたい事も思い浮かばない位に事件の起きない第七章。結局宇宙人の正体は誰だったんでしょうか。フルトゥナは転生してからは靴職人、彫刻師、研師、美術部と指先を使う機会が多かったのですが、風子はガリ勉で物理学、考古学、地質学に興味を持つなどフルトゥナに近い知識欲が旺盛な人間。

風太と鉱子の戦いの最中にやめさせる方法が無いかと考えているところにも表れていると思います。宇宙人同士の会話は過去記事に書いてあるので、気になる方はそちらを読んでみて下さい。



第一章 フルトゥナ
フルトゥナの名前の由来になっていると思われる運命の車輪を司る女神フォルトゥーナ。タロットカードの運命の輪はこのフォルトゥーナがモデルと言われています。このカードの正位置の意味は転換点、出会い、定められた運命。逆位置の意味は別れ、すれ違い、降格。そしてカードにはスフィンクス四大元素を司る天使が描かれています。「スピリットサークル」と重なる部分の多さに驚かされます。

フルトゥナの語るお互いの主観を喰い合う無限地獄は恐いですね。風太風太でいられるのは自分は過去生を見ているのだという意識があるからですが、フルトゥナが未来生を見ているとそうはいきません。今現在ここにいる自分が過去生を見ている風太なのか、過去生を見ている風太の未来生を見ているフルトゥナなのか、その境が消えた時に自我がどうなるのか想像しただけでも恐ろしい。



全ては今に在る
フルトゥナが乗っ取りに成功してからの風太と鉱子の戦い、物語開始時に描かれた戦いと比較するとキャラの配置が逆なんですね。ルンとイーストの表情も微妙に変化していました。フルトゥナを相手にする時の鉱子が攻める側になっていたのは、風太が相手の時とは違って遠慮が無いからなんだろうと思います。

風太の夢に神様みたいなのが登場していましたが、彼らが何者なのかはとても気になるところ。彼らの話を聞いていると「スピリットサークル」の宇宙を見守っていたのは火、水、風、土のうち風の男と土の女みたいなんですが、属性的に風太と鉱子と何か特別な関わりがありそうな雰囲気を感じます。それと最後に神様が話してた星砕きの超能力者はアニムス、白神の子は千夜、異種混ぜ学者僧侶は野禅なのかなあ。

単行本で加筆されたコーコと鉱子の会話の許す力が救いの力となるという話を聞いて、水上作品の核はやはりそこにあると改めて感じました。最終回はあとがきに書いてあるように賛否両論でしたが、個人的にはもっと語られて欲しい部分がある点を除けば最高の終わり方だと思っています。本当はまだまだ印象に残ったシーンについても語りたいのですが、それをやると記事が重いものになってしまいますし、「戦国妖狐」の感想も書きたいのでここでは割愛します。

taida5656.hatenablog.com