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「散人左道」から「スピリットサークル」まで繋がる水上悟志の諦念と肯定の物語

惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)

惑星のさみだれ 10 (ヤングキングコミックス)

  • 作者:水上 悟志
  • 発売日: 2010/11/30
  • メディア: コミック
アニメ化して欲しい漫画1位にも選ばれた傑作「惑星のさみだれ」を生み出した水上悟志先生。世に出した作品はコメディにバトルにホラーと多岐に及び、短編も長編も完成度は極めて高くて安心して読めます。その実力は芳文社マッグガーデン講談社少年画報社など複数の出版社から仕事を貰える程。

水上作品は完成度の高さ故に時代性や作家論など特定の文脈を抜きにして独立した物語として読んでも十分に楽しめますが、作品同士の結び付きが強い水上作品は、複数の作品を読むと魅力は何倍にも跳ね上がります。

作品同士の結び付きは「宇宙大帝ギンガサンダーの冒険」のあとがきで水上先生自身が解説したキャラや用語や世界観に留まらず、水上作品の根底に流れるテーマやメッセージにも通じています。

水上作品は共通項が多く「散人左道」や「サイコスタッフ」など複数の作品を読めば読む程、作中で語られる台詞に込められた意味も深く汲み取れる。知名度の高い「惑星のさみだれ」にしか興味を持たれていない方も中にはいると思いますが、作品の隅々まで心の底から作品を楽しみたい場合は是非とも他作品も併せて読んでみて下さい。

そうすれば幾つものテーマが繰り返し形を変えて現れることに気が付き、全作品を読み終わる頃には作品の見え方も変わるでしょう。


怨みを捨て去り許せる者
惑星のさみだれ」の雨宮夕日は自分を鎖で縛り付けた祖父やそれを生み育んだ世界を憎み、「戦国妖狐」の山戸迅火は自分を捨てた家族と友であった闇を殺した人間を嫌い、「スピリットサークル」の石神鉱子は前世から因縁の相手である桶屋風太を殺す為に生きる。

長期連載作品の主人公やヒロインは怨みを胸に抱えています。メインキャラの茜太陽と兵頭真介も同様に憎悪や絶望の感情に囚われており、上記作品では彼等がその負の連鎖を断ち切り、大人へと成長する物語が主軸に据えられています。

水上先生は「うしおととら」に代表される熱い心を持つ少年漫画が本当に好きな方なので、「惑星のさみだれ」からも王道の燃える少年漫画の雰囲気が感じられますが、先述した内面の変化に相当な比重を置いている部分は青年漫画を中心に執筆する漫画家らしい。少年漫画の熱さと青年漫画の深み、その両方を取り溢さない作風が「惑星のさみだれ」の人気の理由にあるのでしょう。

ところで、一般的に怨みを抱えたキャラを中心に物語を動かすと「GUNSLINGER GIRL」的な暗く重い雰囲気になりそうなものですが、水上作品からは不思議と軽快で明るい雰囲気が出ているんですよね。そのおかげで気軽に読める楽しい娯楽を求める層にも取っ付き易い作品に仕上げられています。

そうした独特な雰囲気を生み出す要因を考えた際に、日常生活で憎悪の感情を表に出さない夕日や迅火の生き方が挙げられます。何故彼等はあれ程の深い傷を心に負いながら、憎悪の感情を感じさせない笑みを浮かべられるのか、その背景に潜むのは彼等の世界や人間に対する絶望の深さ。

特に夕日の絶望は悲惨なもので、自分の不幸を泣いて悲しむことすら出来ない位に心が乾いている。先に押さえておきたい部分なんですが、初期の夕日や第二部前半の千夜や神雲に見られた悲しい時に泣けない状態は、水上作品においては基本的に善い姿として描かれていません。

自分の感情を制御する能力は子供の模範となる大人に必須、しかしそれがあるだけでは本当に強い者とは言えません。泣きたい時には泣いてもいいと自分の無様な姿も晒せる心。常に強くあらねばならないと自分を厳しく律して肩肘を貼る神雲には、そうした己の弱さを許せる器が足りていませんでした。

話を戻します。本当に絶望している人間は現状を簡単に変えられるなんて甘い考えは持ちません。世界や他者に対して一切の期待も希望も持たないから、自分の思い通りにならないなどと人生に嘆き悲しむこともありません。この在り方は大切な人を奪われた直後の怒りを撒き散らす真介と対照的。

当時の真介は世の中の理不尽な出来事を許せず、その不満を原動力に生贄を欲する闇を切り殺す気でいました。八つ当たりではありますが、自分の力で気に入らない世の中を変えてやると思える真介は、ある意味で前を見ていて希望を抱いていると言えるでしょう。

これが夕日や迅火に欠けていました。悪い意味で残酷な現実を受け入れており、不満を発散する意欲も持てず悲しみも怒りも見せない。それ故に彼等は一見すると穏やかな性格に見えます。あらゆるものがどうでもいい。この諦念から生まれる世界への執着心の薄さが他者の命にも適用されてしまうと、人間を殺めても心を痛めない危険な人間を生み出します。

ノイ「お前が憎いのは誰だ。祖父か?父の同僚か?母か?」

夕日「彼らを生み育んだこの世界全て」

序盤の夕日にはそれが少し見られました。夕日は殺人が最低な行為であるという認識を持ちますが、心が死んで他者に対する共感性が著しく欠けるせいで、自分が忠誠を誓うさみだれの邪魔になりそうな目撃者を本気で消そうとしてしまえる。人を殺めそうな夕日と比べれば、闇に人質にされた村人を無視して戦うべきか無意識に悩んだ迅火は、人間を嫌いながらも随分とまともだなと思います。

そんな迅火より歪みが大きい夕日を絶望の淵から助け出すのは生半可な言葉では不可能。夕日は地球の破壊を望む自分が愚かな子供であることを自覚しているので、ノイから思い通りにならないことに癇癪を起こす子供だと説教されても言われても心は動かされません。

そこまでの憎悪と覚悟を持つ相手を言葉で変えるのは難しい。これを覆せるのは心に届かない万の言葉よりも一の経験。信じる信じないを口にする奴を嫌う夕日には、言葉ではなく行動で示してあげなければなりません。全知を否定した師匠こと秋谷稲近の言葉にもありますが、本当に大切なことは頭で知るだけでは駄目なんですよね。

経験を積んで心に染み込ませる過程が必要。「惑星のさみだれ」はそんな世界を憎んだ夕日がさみだれや半月との交流を通して、祖父の束縛から解放され世界を愛して許せるようになり、幼い頃に憧れた父親と同じ人を助けるヒーローに至る物語。



己の分を弁えて全てを受け入れる者
過去と向き合い怨みを捨て去り許す。許しというものをもう少し幅を広げて言い換えれば、自分の力では変わらない出来事を仕方が無いものとして諦めて受け止める行為。現実から逃げることも恨むこともしない人生の肯定。

この諦念と肯定の話は形を変えて各作品で語られており、自称正義の味方でヒーローに憧れていながらヒーローにはなれないと諦めている半月、繁栄の代償に国が滅びる運命を受け入れた無の民、自分の穴が空いている顔を嫌わずに個性として認めて少しずつ好きになろうとする風穴頭、例を挙げようと思えばまだまだ出てきます。

水上先生の世界認識が世の中に個人の努力ではどうにもならないことがあるというものであるのか、水上作品に描かれる成熟した大人も大抵の場合は、それが普通と頭の隅で常に考えており、人生に対してある種の諦めを抱いて等身大の自分を肯定する傾向が見られます。その諦念と肯定の生き方の極地まで到達した人物が足利義輝

水上作品の中でも最上位に位置する達観した価値観の持ち主で、彼は剣の道を極める鍛錬の末に偶発的に未来を視る力を手に入れ、自分が若くして松永久秀の策略で命を落とすことを知ってしまいます。凡人は自分が誰かに殺されると知れば、抜け道を探して死の運命から逃れようとするはずですが、義輝は己が殺される運命さえも自分が選んだ道だと受け入れて笑います。

ループものによくある死の運命を回避する方法を模索した挙句に受け入れるのではなく、最初から生き残る気が無い心の在り方には驚かされますね。しかも自分を殺した松永に対して怨み言を口にするどころか、逆に身を案じて助言をするから役者が違う。

まあ白道さんが願い事を叶える時に語られていたように「生きてる限り死亡率は100%」。死期が早いか遅いか僅かな差があるだけですから、考え方を変えれば死を恐れる道理はありません。幸福な最後を迎えられるかどうかの方が大切ですよね。

一切皆苦諸行無常諸法無我。「スピリットサークル」や「惑星のさみだれ」で輪廻転生を用いる水上先生は、生も死も裏と表の関係で生命の循環における一時の状態と捉えているらしく、死に対して絶対に阻止すべき完全な虚無などと否定的な描き方はしていません。

キャラの死を読者の涙を誘う悲劇に演出してはいるとはいえ、今を生きる者の心に何かを遺したり、人生に満足した素敵な笑顔で最後を迎えたり、読者を泣かせる以外の意味も込めて肯定的に描かれています。

十分な理由も無しにキャラを殺した事例は少なく、大勢の魂を喰らい続けたギンガサンダーは自身を肥料として巨大な花畑を作り出し、アニムスは死後に師匠へと転生して人生の意味を数百年もの歳月を費やして学びました。漫画家の中には好きなキャラを死なせたくないからという理由で物語の都合を無視して生かす方もいますが、水上先生の場合は展開的に意味がある場合はキャラの生死を問いません。死に様も含めてキャラの人生を描きたい性格であることは「スピリットサークル」にも表れています。

戦国妖狐 9 (BLADEコミックス)

戦国妖狐 9 (BLADEコミックス)

  • 作者:水上悟志
  • 発売日: 2012/07/10
  • メディア: コミック
さて死期を悟る義輝を例に上げるまでもなく、人間は絶対に死から逃れられない生き物ではありますが、その死の意味を意思の力で書き換える生き物でもあります。現実は変わらずとも、現実の解釈は自分で変えられる。義輝や無の民が経験した死を運ぶ戦争や天災、それらの出来事を悲劇と感じない自由も本人に任されています。

頭の中は誰にも束縛されない唯一の居場所。自分の歩んだ道が幸か不幸か決めるのも自分自身、現実の解釈を自分の意思で好きに変える力を持つ者は水上作品では最も強い。ちなみにそうしたある種の思い込みが悪い方に働いてしまうと「シャンバラのお絵描きネル」のネルや風巻が一時期そうであったように、無限の想像力に自ら蓋をして見える世界を狭めてしまうことにもなります。

惑星のさみだれ」と「戦国妖狐」では上記の本人の気の持ち方が与える影響は顕著に見られ、超能力と幽界干渉に関して言えば完全に本人の気分で決まると評しても過言ではありません。

病は気から、超能力は確信から、常識で考えて有り得ないことでも絶対に否定しない姿勢が、条理を捻じ曲げて不可能を可能にする。超能力は頭のネジが何本か抜けた変人の方が適性は高く、半月と迅火の奇跡の確信も意識次第で決まります。

自分の考え方で世界は塗り変わる。それは人生を生きる上でとても大切な教訓。生きていれば特別な才能を持たない無力な自分に落ち込む時はありますが、その現実も考え方で良くも悪くもなるものです。

例えば、三日月は半月に負け続けていましたが、半月との実力や才能の差を悔しがるだけでなく、越えるべき山が高くて挑戦する価値があると喜びました。この様に他者と比べて劣る点があるとしても、本人の考え方で人生は豊穣なものとなる。

伊東「勝つのは大事だけど、納得できるまで努力して全力出しきるってのが一番満足のいく結果だと思うな」

夕日「ぼくもこの惑星も全部きみのためにある。たとえ砕けなくても思うだけなら勝手だろ?」

水上悟志短編集 ぴよぴよ」に収録されている「がんばってちゃんとやめよーぜ」と「えらぶみち」と「風穴頭と百鬼町」はその傾向が強く、平凡な読者の人生を肯定する愛情が込められています。勝ち負けとは別に全力で物事に取り組むのは気分が良い、平凡に見える仕事も自分で選んだ立派な生き方、自分の個性に劣等感を抱かないで好きになれ、そうしたメッセージが全編に溢れています。

いずみのさんの言葉を借りるなら少年漫画の裏テーマである「平凡な人生に耐えろ」を描いた作品。下記の記事で触れられている藤田和日郎先生の「瞬撃の虚空」は、武術の達人の祖父が退屈な日々に嫌気が差している孫に生き様を見せて、退屈な日々を生きることが本当の戦いなんだと伝える話なんですが、この大人が子供に生きる力を与える展開は「惑星のさみだれ」の根底に流れる思想と共通していますね。

「平凡への強制」という教育理念と、少年漫画に課せられた使命 - ピアノ・ファイア

他者と自分を比較する度に一喜一憂するなんて人生に不要。世間は勝ち組や負け組を年収や肩書など表面的な部分で決めますが、本質的に個人の幸福と能力の優劣に関係はありません。その意識の切り替えが行える者は、凡人も天才も問わず幸福な人生を送れます。自分の人生の価値を決める権利を持つのは自分だけ。

夕日の台詞にある通り、自分が思うだけであれば他者の視線を気にせず、本人の自由にしても一向に構わない。何度も繰り返しますが、あくまで自由でいられるのは頭の中だけですので、社会を生きる上では自分の内にある我が侭を世界に押し付けず、自分の外にも世界があることを理解して認める器が当たり前に求められます。そうして他者に対する想像力を広げることが大人になるということ。

少し話を戻しますが、誰でも多かれ少なかれ才能、財産、容姿で他者に劣る点は見られますよね。その欠点を自覚した人々は大きく分けて、他者を自分の位置まで引き摺り下ろすか、自分の未熟な部分を認めて受け入れるか、努力を積み重ねて自分を変えるかします。

自分の至らない点を否定する態度は、理想の自分に近付く成長に繋がる。劣等感が人々に向上心を与える側面を持つ為に、欠点を全て受け入れる生き方が言えませんが、劣等感を原動力に始めた不本意な努力は危険を伴います。

そもそも努力は自己否定を繰り返す苦しい行為。それが本心で望まないものにもなれば精神的な負担は余計に増えて、目的を達成する前に心が折れやすいんですよね。自分が費やす労力と得られる対価が割に合うのか、本当は何に対して深い喜びを感じるのか、現実から目を背けて自分の身の丈に合わない道を選んだ人は身を滅ぼします。その破滅を避けて人生を上手に生きる術は諦めること。

人間の欲望は制御する意思が無ければ膨らみ続けてしまうものであり、無限に湧き出る欲望の全部を満たす方法は全知全能の神になる以外に存在しませんが、人間が神になれないことはアニムスやフルトゥナの末路が示しています。人間には出来ることと出来ないことがあるので、適当なところで妥協して諦めるしかない。自分の器を超えた大きな夢を持たないで、分相応の人生を自分のペースでのんびりと楽しみながら生きるのも、それはそれで素敵な生き方ではあります。

半月「今は今の足元をちゃんと踏め。山はゆっくり登るもんだ」

義輝「生くるを楽しめ。何かを極めるには楽しむことを忘れてはいかん」

そういう生き方は自分の実力を無理がない形で発揮出来るから悪いものではないと「サンダーガールと百鬼町」の夜明も口にしていました。個人的には分相応の生き方を選ぶにしろ選ばないにしろ、義輝や道錬や半月や天使のおっさんみたいに、人生を楽しみ笑える位には心にゆとりを持ちたい。

目的を果たす為に険しい道を矢の如く突き進む不器用な神雲みたいな人も魅力的ではありますが、子供に未来は楽しいことを教えて生きる希望を与えられる大人は半月など遊び心を失わない人なのでしょうね。

水上先生が脇役の輝いて見えない生き方も肯定する展開を好む為か、「惑星のさみだれ」と「戦国妖狐」では最終決戦を終えて平凡な日々を送る主人公達が見られます。

基本的に主人公達の黄金期は物語のクライマックスであり、それから10年後の人生は退屈で読者に読ませる価値が乏しく、それ故に意図的に描写しない漫画家は少なくありません。

世の中にはヒーローであった主人公が、普通の親父になっている姿を見たくない層はいますからね。思い出は美しいまま心に残しておきたい、自分が愛したキャラ達には愛した時の姿を最後まで保ち続けて欲しい。

私自身も老いて禿げた男性キャラや皺が増えた女性キャラを好き好んで見たい派ではないので、キャラにアイドル的な不変性を求める人達の心情は分かります。とはいえそれを避けていたら、物語は完結してもキャラの人生は完結しません。

黄金期を過ぎても数十年は残されているであろう長い長い人生、それは読者が憧れない平凡な毎日が大部分を占める訳ですし、それも含めて作中で見せなければ本当の意味で人間を描けたとは言えないでしょう。水上先生はノイの台詞にある「かっこいいだけではかっこ悪かろう」という信念の下に、壮大な物語が幕を閉じた後の日常を送るキャラの姿を包み隠さず見せてくれます。

そしてこの物語的に映える部分だけでなく、上がりも下がりもする人生の終焉を描き続けた作品が「スピリットサークル」。この作品では輪廻転生の長所を活かして、主人公が戦に巻き込まれて若くして命を落とす人生から、何十年も平穏な日常を過ごして亡くなる人生まで色々と展開しています。

努力が報われないとしても努力に意味はある
水上作品の諦念と肯定の話は力に対する考え方にも表れており、闇雲に力を求める生き方の空虚感を繰り返し伝えています。旅を始めた頃の真介や開天の十聖といった若者は、その力に拘る人生が虚しいことを知らずに生きていました。

話が少し逸れますが、「戦国妖狐」を読む時には力の意味を念頭に置くと、力を恐れる千夜と力を求める真介に対する理解が格段に捗ります。

印河「ほらな、不毛なんだよ。いくら力を求めても、より強い力に塗り潰し返されるだけだ」

法鉄「立って逃げろ!上には上がいることを知れ。力を求めてはキリがないことを知れ!」

水上作品では頂点を獲る為に勝ち続けても、オオヤマミツチヒメの様な絶対に超えられない壁に突き当たり負ける宿命にあり、他者と比較する世界に生きて勝利を手に入れる以外に価値を感じられない者は、その絶対的な強者に敗れた瞬間に人生の目標を失います。

最終的に敗北が待ち受ける人生において、勝利至上主義の奴隷と化して勝つ為の力だけを追い求めても大した意味はありません。真に考えるべきは周囲の価値観に惑わされることなく、自分自身の内なる声に耳を傾けて、勝利を欲する本当の理由を問い掛け悟ること。

道錬「ムド…己が何者か思い出せ…技に憧れたからといって己の力を否定するな」

夕日「何をしたいかが大事なんだ。技を頼って待ち構えるんじゃない。結果を信じて前に出ろ!」

力を手に入れる鍵、それは雑念を捨て去り悟ることにあります。夕日は半月の真似を止めてからは三日月にも半月にも勝利、風巻は固定観念を捨て去りアニムスの模倣ではない独自の泥人形を作成、千夜は自分が何者になるのかを自分で決めていいのだと気が付いた瞬間に霊気が変質して千手観音の様に進化、真介は仮想人格の荒吹との対話を通して悟らされた直後に天地割りでバリーを一刀両断。

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)

サイコスタッフ (まんがタイムKRコミックス)

  • 作者:水上 悟志
  • 発売日: 2007/10/27
  • メディア: コミック
記事の前半にも書きましたが、超能力と幽界干渉もそれが重要。超能力の極意は万能な自分を信じること、幽界干渉の極意は無力な自分を許せること。

惑星のさみだれ」も「戦国妖狐」も意識を変えて心の殻を破る時に強さを手に入れる傾向が強い作品ですが、水上先生は自己否定を繰り返し高みへ至る努力を無駄だと否定しているわけではありません。その証拠に「がんばってちゃんとやめよーぜ」と「サイコスタッフ」では全力で努力の素晴らしさを説いています。

光一「努力を無意味と言い、要求を一方的に通そうとする。嫌いな人種だ」

梅子「地味で愚直な努力の繰り返しによってのみ、人は強くなれるべきなのよ」

主人公の永遠のライバルである三日月やムドと比較したら、主人公の夕日と千夜は他者から与えられた力で戦う印象が強いですけど、彼らも与えれた力に胡坐をかかずに努力しています。夕日は掌握領域を鍛える訓練の陰で獣の騎士団を倒す訓練をしてきましたし、必殺技の天の庭に関しては相手の行動を考え続ける努力を怠れば使えません。千夜は振り回せば沢山の命を傷つけてしまう強大な力を制御する為に、自分の中にいる闇達を従えようと戦闘と対話を何度も行いました。

水上作品でもこうした地道に努力する主人公達の姿は描かれていますが、漠然と努力さえしていれば報われるかと言えば、そんなことはありませんよね。人生では幾度も大きな壁は立ち塞がりますし、努力に無駄があると自分が望んだ成果は出てきません。努力の方向性は考えるべきというのは「サンダーガールと百鬼町」の教え。

現実は厳しく勝ち目の薄い戦いはありますが、それでも絶対に勝利を譲れない時は訪れる。そこでどう立ち向かえばいいのか。人が泳ぎで鮫に勝つ必要も走りで馬に勝つ必要も無いのですから、真っ向から勝負を挑んでも勝ち目が無ければ、邪道に左道とあらゆる手段を用いて勝利を掴めばいい。

水上作品は夕日と三日月や道錬と神雲の真正面からの殴り合いも熱くて魅力的ですが、千夜と無の民やフブキと無限の相手の虚を衝く戦い方も意外性があり魅力的。

初連載作品の「散人左道」のフブキは己を正道にあらざる者と称して、主人公とは思えない姑息な手も用いて格上を相手に勝つ男。その正々堂々と全力で戦わないフブキの在り方は、「サイコスタッフ」の英雄になることを拒否して受験勉強に励む超能力者の物語、「エンジェルお悩み相談所」の天使には見えない筋骨隆々なおっさんが人生相談に乗る物語、「惑星のさみだれ」の惑星の破壊を企む魔王の物語、王道から少し外れた作品を描き続けて熱心なファンを獲得してきた水上先生の作品を象徴するものと言えると思います。

最後に水上作品と直接は関係しませんが、水上悟志フォロワーで「かぐや様は告らせたい」を連載中の赤坂アカ先生の前作「ib -インスタントバレット-」は、地球を破壊する悪の道を最後まで走り抜けた「惑星のさみだれ」と言える水上悟志ファンにオススメの傑作。下記のサイトで3話まで無料公開されています。

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