アニメごろごろ

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ゲームファンタジーの魅力は何かを考える

ゲームに見られるモンスターやパラメーターやスキルなどの要素を取り入れた「この素晴らしい世界に祝福を!」や「異世界迷宮の最深部を目指そう」、ゲームの世界を舞台に冒険をする「ソードアートオンライン」や「オンリーセンスオンライン」などの作品が最近のライトノベルでは増加傾向にあります。この手のゲーム的な世界を舞台にしたファンタジーの持つ強みとは何か、そこではどの様な物語が展開されているのか、それについて思い付いた事をだらだらと書いていきます。


子供にも活躍の場がある
戦争でも災害でも犯罪でも何でもいいのですが、大きな事件の中心には事件を起こした側か事件を解決する側かは分かりませんが、頭の切れる優秀な大人がいるものです。例えば「とある魔術の禁書目録」や「東京レイヴンズ」でも事件の裏にはそうした大人が一枚噛んでいたりしますよね。

常識的に考えると無力な子供の出る幕はそこにはありませんが、物語では子供である主人公を活躍させる力が働いてしまい、優秀な大人達を子供が簡単に出し抜いてしまうなんて事が頻繁に起きます。その所為で作中の大人が不自然なまでの無能に見えてしまう事がありますよね。

この問題はゲームの世界でなら回避しやすいと思います。ゲームをプレイするのは世の中にいる大勢の人間の一部でしかありませんから、人数が少ない分だけ頭の切れる人間の数も当然少ないです。また優秀な大人というのは仕事や勉強で多忙な毎日を送り、大半はゲームとは縁の無い世界に生きていますから、「SAO」にあるみたいなゲームの世界に閉じ込められる事件に巻き込まれる可能性は低い。ゲームの世界にいるのがそうした大人を除いた簡単な会話しか行えないNPC、遊びにしか興味が無い駄目な大人ばかりであれば、中高生位の子供が活躍しても違和感は少ないと思います。

ゲームの世界ではそれ以外に戦闘面で子供に見せ場を作りやすい点も強み。ゲーム内の強さは性別や年齢の影響を受けずに、基本的にはレベルやスキルやテクニックで決まりますから、キリトやユウキみたいな貧弱な子供でもゲームをプレイするのが早ければそれだけで優位に立てます。平凡な主人公でも英雄になれる可能性があるゲームの世界には夢がありますよね。ゲームの外ですとキリトはエギルどころか直葉にも勝てませんから。


世界を作り込まない自由
ゲームの世界はプレイヤーを楽しませる為に作られた場所。様々な事情から世界の仕組みは現実のそれと比較すると簡略化されています。ダンジョンに宝箱が置いてある理由、面積の少ないビキニアーマーを装備して攻撃を防げる理由、ギルドが存在する理由に関して複雑な背景は不要、ゲームでそれらが必要だからそうなっているという適当な説明でも読者を納得させられます。

人工的に作られた世界ですから細かい突っ込みを入れるのは野暮というもの。現実的に考えたらおかしいなどの批判を受け難いのは、ゲームの世界を舞台にした作品の強みになると思います。日本政府や自衛隊が登場する「ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」だと読者が物語を見る際に、現実のそれを基準に捉える傾向が強い為に、ゲームの世界と比較すると粗は目立ちやすそうですね。

秩序の無い世界を生きる
通常の異世界では主人公が生まれた時から既に国王などの権力者達がいて、彼らが決めた法律の中で生きる事を強いられてしまいます。それは時には窮屈に感じるかもしれませんが、安定した秩序がもたらされた世界でもあります。ゲームの世界に閉じ込められた場合は、ゲームに定められたルールは幾つかありますが、基本的には無人島漂流ものと同様に支配者も法律も無い万人の万人に対する闘争状態から始められます。

何をしても裁かれない無秩序の状況下で試される人間の本性、自分の身を守る為に徒党を組んで平穏な生活を手に入れるまでの過程、昔から一定の支持を集める無人島漂流ものの魅力を魔物や魔法のあるファンタジーの世界に取り入れられるのは大きな利点だと思います。


ゲームの世界で問われる命の重さ
ゲームの世界は読者の感覚として遊び場であるイメージが強いせいで、本物の銃弾が飛び交う戦場を舞台にした「ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン」なんかと比較すると、命の奪い合いがどこか遊びの延長線に見えて緊張感に欠ける場合もあるのですが、だからといって描かれる事の全てが軽いかといえばそうではありません。例えばプレイヤーと遜色の無い思考をするNPCとの交流を通して人間とは何か、高度な人工知能を人間として扱う事の是非など、将来的に私達がぶつかるかもしれない生命に対する捉え方の問題が描けます。

ログホライズン」ではキャラが死んでも生き返る設定にしていますが、その設定が人間が生きるとは死なないだけではない、本当の意味で生きるには充実と尊厳が必要という方向に物語を進ませました。これとは逆の死んだら終わりの世界を舞台にした場合には、死の恐怖を通して命の大切さを学ぶ事が着地点になってしまい、生きるとは何かまで踏み込めないのは割とある気がしています。

ログ・ホライズン (1) 異世界のはじまり

ログ・ホライズン (1) 異世界のはじまり

読者に知識があるから易々と読める
ラノベに関心のある読者の大半にとって、ゲーム的な世界は慣れ親しんだもので、そこに対してはそれなりに知識があります。その為にゲームに出てきやすいゴブリンやレベルとはどの様なものなのか作中で丁寧に語らずとも、読者は過去に遊んだゲームの知識から大体の雰囲気を理解する事が出来ます。

完全なオリジナルのファンタジーを読む時よりも、理解と想像に手間がかからないというのは、負担の少ない娯楽を好む層には有り難い。読書に掛かる負担が減らせると消費も増やせて、消費される作品が増えると生産される作品も増えるので、作者はその中で差別化をする為に斬新な作品を生み出します。


読者のゲームに対する思い出を活かす
オリハルコンの剣とかエクスカリバーとかどこかのゲームで見た記憶のある強力な武器がゲーム的な世界には登場しやすいのですが、読者はそれらの強力な武器を手に入れるのに苦労したり、それを装備して敵を簡単に倒して爽快感を味わうなど様々な経験をしていたりします。

ゲームをプレイした時にそうした色んな思い出を手に入れた読者は時として、全然別の物語に登場する同名の武器に作中で説明されているもの以上の何かを感じるものです。読者が過去に愛した武器や魔法や魔物に関する思い出を呼び起こす。ゲーム的な世界ではそれを利用する事が出来るのが良いですね。下手にオリジナルのものを出すよりも読者の心は躍らせられます。

新しい物語が生まれる土壌
王道があるから邪道が光る。先程の話と被りますが、似た様な物語が大量に作られて新たなジャンルとして確立され、その内部で王道と呼ばれる物語類型が読者と作者に認識されると、その王道を逆手に取った物語が作られ始めます。ゲーム的な世界は読者に昔から知られているおかげで、その王道に少し捻りを加えたものを読みたい層は厚め、その需要に応えた個性的な物語も沢山生まれました。

具体例としては勇者と魔王が殺し合わずに協力する「まおゆう」が分かり易いですね。あれは「ドラゴンクエスト」みたいな王道の上にしか成り立たない典型的な邪道の物語。この模倣と差別化の繰り返しが生み出す作品の量と幅の凄さは、小説家になろうを利用している方なら感じてもらえるのではないでしょうか。


二次創作的な位置付けにある物語
ゲーム的なファンタジーの土台には有名なゲームが幾つも含まれています。その時点で完全なオリジナルの世界が創造される事は絶対に有り得ません。そこに対して想像力が欠如しているとの批判も受けたりしますが、近しい世界観を持つ作品があるおかげで得られる楽しさもあります。

例えば主人公達がゴブリンを殺すのにも四苦八苦する「灰と幻想のグリムガル」、この作品は特別な力を持つ勇者が魔王を倒す古典的な物語では語られない隙間を埋める派生作品としての役割を担います。魔導書を作る物語やギルドの運営をする物語や武器の鑑定をする物語、僅かな繋がりを持つゲーム的なそれらを繋げて読み、物語単体では語られない部分を想像する。そうするとどこかで見た様なゲーム的な世界であっても、その世界の深さは数段跳ね上がります。


個人的にはゲームファンタジーの魅力はこうしたところにあるのかなという気はしています。他にも色々とあるかもしれませんが、現時点では特に思い浮かびませんし、今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。目標では魅力を10個は挙げるつもりでしたが、残念ながら届きませんでした。