アニメごろごろ

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「アイシールド21」の世界大会編は蛇足ではない


アイシールド21」の世界大会編が蛇足と言われているのをネットで見る度に上記画像と同じ様な気分になります。あそこまで描かなければ作品のテーマに対する答えも主人公の物語も不完全燃焼で終わってしまうわけで、あれを蛇足と言うのは作品を読み込んでいないか蛇足の意味を間違えているかのどちらかだと思います。竜頭蛇尾と言うなら分かりますが、蛇足と言うのはどう考えてもおかしい。そういった批判がされる事に納得がいかないので、世界大会編の存在意義について力説する事にしました。


不可能でも頂点に挑戦する雄の生き方
天才に凡人が勝つにはどうすればいいのか、天才に勝てないとしたらどうすればいいのか。「アイシールド21」は全編を通してこれらの問いに答えを出そうとしていました。ヒル魔が率いる泥門の選手は一芸に秀でているだけで、総合的な能力では王城や神龍寺の選手に敵いません。長所以上に欠点もあるので強敵に真正面からぶつかれば勝ち目は無いに等しい。そこで泥門は勝つ為に一芸だけをひたすら磨いて、奇策で相手の意表を突いて自分達の得意な分野で戦える状況を作ります。

そうやって泥門は格上を相手に戦い続けてきましたが、勝負の世界はそれだけで勝てる様な甘いものではありません。勝ち上がれば相手の司令塔も優秀になりますから、ヒル魔の作戦が思い通りに成功しない場面も増えてきます。長所のスピードで相手を翻弄してきたセナも上に行けば、進や大和といったスピードもパワーも兼ね備えた努力する天才を相手にしなければなりません。そんな勝てる見込みがあまりにも低い絶望的な試合でも、全国大会優勝を目標にしているからには泥門を勝たせないと展開的に都合が悪い。

常識的に考えたら勝てるわけがないところをどうにかして泥門を勝たせる為に、セナにはデビルスタンガンやデビルフォースディメンションと新技が与えられますが、天才の進や大和を独力で倒してしまうとセナもまた凡人ではない天才に見えてしまいます。結局天才に勝てるのは天才だけで努力しか取り柄の無い凡人は勝てないなんて結論はあまりに救いがありませんよね。

何をしても勝てないとしたら凡人が天才に挑むのは無意味なのか、その問いに対して答えを出さなければ、天才に届かない凡人の苦悩を描いてきた「アイシールド21」の物語は終われません。その原点に立ち返る為にも進や大和でも敵わないアメリカと試合をする展開は必要。アメリカ戦では決して越えられないと知りながら諦めずに挑んで戦い続ける選手の姿を通して、勝てないとしても頂点を取ろうとする意志は肯定されるものであると読者に伝えようとしています。

小市民の小早川セナが雄になる
世界大会編は上記以外に臆病者で自己評価の低いセナの成長物語を見せる意味でも欠かせません。全国大会優勝までのセナにも自分から望んで勝ちたいという気持ちはあるのですが、それ以外にヒル魔と栗田とムサシの夢を叶えたい気持ちもあるんですよね。こうした他者の為に行動する性格が根底にあると、何かを成してもそれが本心から望んだ事なのか判りづらいのですが、アメリカ戦では背負うものが小さいおかげで誰の為でもない自分自身の気持ちが出せます。

そこでセナはプロの世界を目指す決心を固めます。それが不可能と思える程の険しい道だとしても望んだからには決して折れない。恐がりで逃げてばかりいたセナはここにはもういません。自分に出来るかもしれないから挑戦するのではなく、自分に出来ないとしてもやりたいから挑戦する。雄の生き方を描いた世界大会編は、読者に夢と勇気を与える少年漫画に最も相応しい物語。これを描かなければ画竜点睛を欠いていると言っても過言ではありません。