アニメごろごろ

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「Charlotte」は「Angel Beats」の反省点が活かされているのか

P.A.WORKSの最新作「Charlotte」では脚本の麻枝准さんが「Angel Beats」で浮き彫りにされた反省点を全部活かして作られたそうです。キャラの心の機微や振る舞いについて改善していたという事なので、そこを中心に「Angel Beats」と比較してどのあたりが改善されているのか、麻枝さんの意図したものから外れている部分もありますが、自分なりにそこについて考えてみたいと思います。


理不尽な目には遭わせない
Angel Beats」では野田が音無をいきなりハルバードで斬り付けたり、直井が腹いせに催眠術を用いて日向の精神を壊したり、高松と日向が陽動作戦の一環として強制的に天井に頭を激突させられたりしますが、彼らがそこまで酷い目に遭わされる理由はありません。ただその過激で理不尽な暴力がギャグとして面白いからという理由だけで行われます。人によっては不快にも感じられる理不尽な暴力が麻枝脚本の特徴なんですが、さすがにこれはやり過ぎだと感じたのか「Charlotte」では改善されています。

これまでの作品のように理不尽な暴力を振るいながら、お咎め無しで流される事は殆んどありません。有宇が能力を用いて危害を加えた相手は迷惑な不良連中ばかりですし、有宇が序盤で能力を悪用した時には奈緒に殴られる形で裁かれています。奈緒が邪魔な高城を部屋から追い出そうと窓から突き落としたのはやり過ぎたと思いますが、突き落としたのも有宇が高城に乗り移り無自覚に能力を奪うのを阻止する為ですから、基本的に奈緒は悪党を懲らしめる目的以外で他者に危害を加えてはいません。この理不尽な暴力が肯定されない世界観は視聴者から嫌悪感を抱かれない為に貢献していますね。


ヒロインが視聴者から嫌われない
Angel Beats」の仲村ゆりは死んだ世界戦線という組織を作り、天使こと立華かなでと抗争を繰り広げていたのですが、ここでのゆりの行動があまりにも酷い為に彼女は一部の視聴者から嫌われていました。上から目線でメンバーに命令して失敗すれば使えないだの何だのと暴言を吐いていたのも好感度を下げる要因でしたが、嫌われた最も大きな要因となるのはかなでを大した根拠もないまま敵認定して攻撃していたからでしょうね。生前に理不尽な人生を送らされたゆりはいるかいないかも分からない世界を創造した神を憎み、神の使いの天使かもしれないかなでを敵と見なして倒そうとしていました。

かなでが本当に天使なのかとか目的は何のなのか確かめようともせずに、あらゆる手段を用いてかなでに執拗に虐めみたいな事まですれば、それはまあ視聴者から嫌われても仕方ないですよね。真面目で健気なかなでの姿に惹かれた視聴者が「天使ちゃんまじ天使」と好感を抱けば抱いた分だけ、それを虐めるゆりに対する好感度は反比例して下がり続けるという状況に陥りました。「自分は悪いことなんかしていないのに、こんな理不尽な人生が許せない」なんて言っていたゆりがメンバーやかなでを理不尽な酷い目に遭わせるとかお前が言うなとしか思えません。こんなヒロインは好きになれないし感情移入なんか出来ないと感じる視聴者が増えれば、ヒロインの見せ場で感動を与えるのもままならないのではないでしょうか。

Charlotte」の奈緒も口が悪いし態度が大きかったりとゆりと似たような性格をしていますが、それらの嫌われそうな部分の表現は柔らかいものにされていました。これに加えて心が病んだ有宇を立ち直らせる役目を奈緒に担わせ好感度を上げる描写を入れたおかげで、奈緒が殴られ誘拐された際に視聴者から「ざまあみろ」と思われずに済んだのではないかなと思います。これらについては改善され作品の質は向上していたと思うのですが、「Charlotte」よりも「Angel Beats」の方が優れていた部分もあります。

キャラの魅力は格段に落ちた
Angel Beats」では直井が音無からちょっと人生を肯定されただけで急に心変わりして敵から味方になるなど、心理描写に関しては展開の速さを優先させた代わりに雑なところがありました。「Charlotte」はその反省点を活かしたのか心理描写は丁寧になりましたが、どういうわけかキャラの魅力は落ちてしまったように思います。普通は心理描写が増えれば愛着も湧いて二次創作がされやすいはずなんですが、これにはそうした動きが見られないんですよね。

pixivでは「Angel Beats」の二次創作は14000点程投稿されていますが、「Charlotte」はまだ投稿作品数が800にも届いていません。投稿数は作品が盛り上がっている時期に集中するのでアニメ放送中の現時点で800にも満たないとなると、何年経過しようと2000を超える可能性はほぼありません。麻枝准作品の「CLANNAD」が8000、「リトルバスターズ」が10000もあるのに、「Charlotte」だけが800と少ないのは異常事態ですね。作風がこれまでと真逆というわけでもないから視聴者層は同じはずなんですが、それなのにこれだけ減少した背景には何があるのか気になります。二次創作の少ない理由として考えられるのはキャラの少なさと関係性の弱さですかね。

Angel Beats」は音無とかなで、音無と直井、音無と日向、日向とユイとカップリングが充実していましたが、そうした作品はイラストを描ける割合が高い女性達に好まれますから二次創作が活発になりやすい。「Charlotte」の二次創作が盛り上がらないのにはカップリングの少なさが影響しているとは思いますが、男性向けの「CLANNAD」でもそれなりに数はあるので他にも理由はあるはず。ところで麻枝准作品は「こんな奴は現実にはいないだろ」みたいな口調のキャラを出さないといけないんですかね。歩未の「○○なのです」は受け入れられても「○○でござる」は好き嫌いが分かれそうです。そんな変な喋り方をするのはどこぞの糞眼鏡だけで十分。

馬鹿馬鹿しい日常の価値
不満と言う程では無いのですが「Charlotte」は超能力者探しに話数を使い過ぎたのではないかなという印象を受けます。「Angel Beats」で描かれたしょうもない作戦の数々は、生前に未練を抱えたまま命を落とした死んだ世界戦線のメンバーの絆を強めました。その絆が死後の人生を豊かにして生前の報われない人生を肯定して死を受け入れる力となるなど、一見するとギャグにしか思えない作戦が結果的に魂の救済に繋がるという構造をしていました。

この構造があるからこそ死んだ世界戦線のメンバーの馬鹿騒ぎが尊いものであると感じられ輝きを増していきます。これに対して超能力者探しはその過程で奈緒との絆を多少強める効果はありましたが、物語全体の構造から見ると重要度は低いように思えるんですよね。個人的には何名もの超能力者を探すよりは、中盤の歩未の死を衝撃的なものにする為に視聴者が歩未を好きになれる描写を足したり、過去編に時間を割いて隼翼と熊耳の物語を今以上に魅力的にして欲しかった。あともう一つ言いたい事があるんですけど、柚咲と高城は物語上はあまり存在価値がないと思います。

有宇に何をしてでも守りたいと思わせ行動する動機を与えるのは歩未の役割、駄目人間の有宇を支えて導いてあげるのは奈緒の役割、柚咲と高城は有宇と深い関係を持たないからかムードメーカーとしての役割しか与えられていません。極論ですけど柚咲と高城がいなかったとしても物語の大筋は変わりません。せめて日向やユイに匹敵するだけの存在感は持たせてもいいのではないかと思います。