アニメごろごろ

楽しんで頂けたらツイートなどしてもらえると喜びます。

映画クレヨンしんちゃんの感動路線は15作目から始まった

「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」 予告編 - YouTube

感動作として有名な「オトナ帝国」と「アッパレ戦国大合戦」。この頃から感動を売りにしたと思っている方もいるかもしれませんが、それは半分正解で半分間違いだと言えます。過去の作品と比較しても泣ける場面を盛り上がる構成にしていますし、メディアもこの作品を扱う時には感動作である事を強調します。そういう意味では感動を売りにしていると言えますが、公開前は感動作であると微塵も感じさせない宣伝の仕方をしていました。


それは予告編を観れば一目瞭然。「オトナ帝国」の予告編は過去の思い出にしがみつく大人と未来を信じる子供の戦いの部分を強調しており、大勢の子供と大人が正面から激突する場面で終わります。ちなみにその映像は例によって予告編に時々挿入される嘘映像ですから本編には使われません。ここには懐かしい過去を振り払い未来に進もうとするひろしの姿も無ければ、ぼろぼろになりながら階段をかけ上がるしんのすけの姿も有りません。名シーンと呼ばれるところは一切使われていないんですよね。


その次の「アッパレ戦国大合戦」はといえば笑わせる要素を排したりと真面目な作品である事を伝えています。この辺は本質を押さえた見事な予告編だと思えますが、終盤になると「歴史を変えるおバカ参上」とか「おまた凝りすぎよぉ〜」とかふざけた言葉が飛び交い、締めには「戦ってちょんまげ」とナレーションが入り、中盤までの真面目な雰囲気を全力でぶち壊します。この頃はまだ「クレヨンしんちゃん」を泣ける作品だと宣伝する意思が感じられませんが、この両作品が泣けると評価された事により状況は変化し、数年後の劇場版第15作目の「歌うケツだけ爆弾」からついに感動を売りにした宣伝が開始します。


予告編は爆弾を取り付けられたシロを捕まえようとする組織の手から守ろうと、しんのすけがシロを連れて泣きながら逃げ出す姿が描かれます。逃げ回り食事もまともに摂れず疲れ果てて倒れるしんのすけの身を案じたシロは、自分から組織に捕まりに向かいしんのすけを平穏な日常に帰そうとする。この様に引き裂かれるしんのすけとシロの姿と互いを思いやる献身的な姿を予告編では前面に押し出しています。

これ以降は「カスカベ野生王国」でも「ロボとーちゃん」でもそうでしたが、露骨に家族の絆や家族が離れ離れになる部分をアピールして、感動を求めるファミリー層を呼び込める売り方になりました。下品だから子供に見せられないと言われてきた作品が、まさかこの様な扱いをされるなんて子供の頃は想像もしていませんでした。

それにしても予告編というのは見せ方を工夫するだけで、作品の印象を変えられるから面白いですね。「プロメテウス」は予告編から受ける印象と本編を見た時に受ける印象とが乖離していた為に、悪い意味で観客の期待を裏切り予告詐欺だとか批判もかなりありました。「風立ちぬ」の予告編では1920年の日本は不景気に貧乏、病気、そして大震災と、まことに生きるのが辛い時代だったと語られているので、あれを見るとまるで主人公とヒロインが厳しい時代の中で苦労しながら生きたかのように見えますが、本編を見ると主人公もヒロインも裕福過ぎて不景気とも貧乏とも縁は無いんですよね。