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「放課後のトラットリア」あやめとエルスタインの洞察力の描かれ方が秀逸

放課後のトラットリア 1 (メテオCOMICS)

放課後のトラットリア 1 (メテオCOMICS)

「放課後のトラットリア」の単行本に収録されている短編小説「語られない言葉で語る約束」が面白かったです。本編ではエルスタインがあやめの事を王立学門所の助教より上の能力を持つと話していましたが、どの辺りからあやめがそれだけの能力を持つと判断したのか本編からは伝わりませんでした。そこの疑問について短編小説が答えを提示していたので大満足。

相手の真意を見抜ける切れ者は物語には大勢いますが、どの様に見抜いているのかまで描かれているキャラは少ないです。ありがちなのが全てのキャラの思考を把握している作者がその情報を特定のキャラにそのまま与えて、さもそのキャラが自分の頭で考え見抜いたかの様に見せ掛ける方法。

短編小説ではこれをせずにエルスタインが自分の頭のみであやめの分析を行っていると感じられた点が良かったです。ちょっとした言動や仕種からあれだけの情報を読み取るとか恐ろしいですね。

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あやめは街を見ようとして夜更けに出歩いていたらエルスタインのいる執務室の側の茂みにとらわれたと話していましたが、本当は最初からエルスタインとの接触を目的にして出歩いていましたよね。

深読みかもしれないですけど、あやめが茂みからまろび出たのはエルスタインが茂みの動きに気付き、短剣を手にした姿を見たからなのではないでしょうか。あやめの方からは明かりのある執務室にいるエルスタインの姿は見えていると思いますし、エルスタインがこちらに気付いて何かする前に先手を打とうと考え、あやめは道に迷い茂みに捕らわれた風に装ったのではないかと。

もしもエルスタインに「そこに隠れているのは誰だ」みたいな事を言われた後に姿を晒すと、まるでこそこそと隠れて覗き見していた風に思われますからね。そうすると警戒され執務室にも入れて貰えない危険があるので、ああやって偶然執務室に来たとエルスタインに思わせるのは正しい選択だと思います。

エルスタインが1人でいる時間を狙い偶然を装い接触して、エルスタインの方から対話を望めばあやめはそれに乗る。この流れはかなり考えられていると思います。最初から対話を望んでエルスタインにその為の時間を取らせた場合には、何を話したいのか聞きたいのか即本題に入らなければなりませんが、偶然出会った時にはこうしたものは必要有りません。

暇潰しに始めた明確な目的の無い会話であれば他愛ない雑談ばかりでも許されます。その一見どうでも良さそうな会話の中から相手の性格や立場を丹念に読み取り、それをした上で隠していた本題に入るのか適当に雑談だけして終わらせるか選ぶ。見事な会話の運び方ですね。

あやめの方は対話を望んでいますが、それをエルスタインには悟らせない。これはエルスタインを警戒しているあやめの都合もありますが、対話するかどうかエルスタインが自由に決められますから多忙な彼にとっても有り難いですね。

「雛を守る親鳥のようなものだものね」

聡明で仲間を気遣うあやめをこう評したエルスタインですが、この言い方はあやめからの好感度を下げる発言だと思います。これってあやめはリーダーらしいと誉めている一方で、残りの3人は無力な子供だと言ってるわけですからね。
上下関係の緩そうな料理研究部部長のあやめからしたら、残りの3人は一緒に料理作りを楽しむ対等な仲間。

そんな仲間を守られる雛と言われたらあまりいい気分にはならないはず。あやめが皆を守る自分に優越感を感じる性格でもなければ、誉め言葉のつもりでもエルスタインのあれは失言になるでしょうね。

まあエルスタインはあやめ以外の3人を知らないので、うっかり口にしてしまう気持ちも分からないでもない。クリームシチューを作る話を見るとみやこも聡明で冷静で行動力もあるのは分かりますが、エルスタインが知っているみやこは馬車の中でずっと寝ているだけでしたからね。能天気な少女にしか思われていないのかもしれません。

個人的にはあそこでみやこが馬車の中で呑気に寝ていられたのは、仲間に対する信頼があったからだと思います。仲間に任せておいても自分に都合の悪い事態にはならないという確信。それがなければ大好きなくいなを守る為に目を光らせていたのではないでしょうか。