アニメごろごろ

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心理的な距離を視覚化した踏切

境界の彼方 未来篇」観てきました。こちらは「たまこラブストーリー」みたいなテレビシリーズとは何だったのか状態にならず、演出も脚本も何時も通りの「境界の彼方」。最後の秋人と未来が共に生きる事を誓い踏切を越える場面は、新たな人生を歩む為の何かしらの境界を越えた感じがして「境界の彼方」という作品名に相応しい終わり方でした。

クラナド」の智代篇の最後にもありましたが、踏切はキャラとキャラの関係性を表現する際には割と用いられますよね。新海誠監督の「秒速5センチメートル」も確かそんな感じの終わり方をしていました。どれも踏切を用いた演出ですが使い方は3つとも異なります。「境界の彼方」では先述した通り、秋人と未来が新しい人生を歩み始める時の第一歩を印象付ける為に、変哲のない歩道を歩かせずに踏切という境界を渡らせました。この作品はOPのトンネルを抜ける場面といい境界を感じさせる表現がちょいちょい見られます。

クラナド」では閉塞感とそこからの解放感を表現する為に踏切が用いられていました。智代と違い素行も頭も悪ければ人望も無いに等しい岡崎は、自分なんかの側にいると智代の成長を妨げるからと彼女と距離を取り始めます。それから少しはまともになろうと努力した岡崎ですが、就職口は駅一つ越えられない地元の中小企業にしか見付からず、岡崎は嫌いな町から出る事すら叶いません。岡崎と智代との間に生まれた心理的な距離、嫌いな町から出られない閉塞感、閉じた踏切にはそうした意味が込められています。この岡崎の心理状態を反映している踏切は、岡崎に距離を取られていた智代がどんな事があっても全力で側にいると告白すると同時に開きます。そして岡崎が踏切の向こう側にいる智代の方に歩き出すところで物語は終わります。これは踏切を二人の恋愛を阻む障害として比喩的に用いた好例ですね。

秒速5センチメートル」では遠野が疎遠になってしまっていた明里と偶然踏切ですれ違います。遠野は明里の事に気が付き振り返りますが、その瞬間に電車がやって来てしまいます。電車が通り過ぎた後には明里はもう遠いところに行ってしまい見えません。電車の騒音と車両が視界を奪い音を消し去り、踏切の向こう側にいる相手との意思疏通を妨げる。この様に相手との関係を断ち切り別れを意味する時にも踏切は使われます。踏切と似た効果を出すものには横断歩道もありますが、横断歩道では車なんて小さなものしか走らないので、視界を遮るとかの演出は難しそうですね。それに横断歩道だと信号待ちの車なんて部外者がいて景観を損ないますし、キャラとキャラの関係性だけに注目させるのなら踏切の方が適しているのではないでしょうか。