アニメごろごろ

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「劇場版 PSYCHO-PASSサイコパス」感想

テレビシリーズの穴を埋める劇場版
サイコパス」はテレビシリーズでは日本以外がどの様な惨状なのかが描かれていませんでした。
シビュラのおかげで日本は法治国家として機能していると一期の時に言われていましたが、シビュラを導入にしていない国外がどうなっているのか視聴者は詳細を知らないので、シビュラが役に立っているのかは正直分からない。劇場版は国外を舞台にしてそこを掘り下げるというか埋める形になっていたのが良いですね。
シビュラの有用性を紛争の絶えない東南アジア連合を通じてテレビシリーズとは違う角度から描き、シビュラによる管理社会が正義であるかどうかを改めて視聴者に問う。そこに一期の最後に姿を消してしまった主人公の狡噛を追いかけるドラマを加えた構成は、視聴者の求めるものとしてはほぼ完璧だったのではないでしょうか。

狡噛は平和な日本から逃れ毎日の様に戦い鍛え続けてきたのですが、その事は狡噛の肉体の厚さに表れていましたね。
一期の頃よりも逞しい姿になっているところにキャラデザの仕事の丁寧さを感じます。ところで宜野座さんはシリーズ毎に外見を変えなければならない呪いにでも掛かっているんでしょうか。二期になってから眼鏡を外すというのは父親との確執も解消されたことと繋がるから理解出来るのですが、劇場版になってからポニーテールにするのはさっぱり分からないです。
あと朱が唐之杜志恩のことを「志恩さん」と呼ぶのが気になったのですが、二期の時から呼称はこうでしたっけ。一期の時に「唐之杜さん」と呼んでいたのは覚えているのですが。


シビュラの成長
シビュラシステムは部下の使い方が上手になりましたね。
ただ狡噛が国外にいるとだけ伝えても責任感の強い朱は職務を放棄してまで動こうとはしなかったかもしれませんが、狡噛がテロリストを送り込んでいるという疑惑があれば真相を突き止めに行こうとします。そこまでやれば朱は勝手に行動するだろうと読んでいたから、わざわざ国内にテロリストを招き入れるなんて危険な真似をシビュラはしたのでしょう。
以前のシビュラなら朱や霜月をあそこまで上手に動かせなかったでしょうね。思惑通りに事が運ばなかったから一期と二期の結末はあんな風になったわけですし。劇場版はその全てがシビュラの筋書き通りになりましたし、最後は朱の意見に耳を傾け柔軟な対応をしていましたし、これはシビュラの成長とも言えるかも。譲歩することを覚えないQBはシビュラさんを少しは見習った方が良いね。


狡噛と槙島の違い
朱が狡噛と槙島の違いについてあれこれ話していましたが、あそこの分析には間違いが含まれていたと思います。
狡噛には槙島の様な他者を支配しようとする欲が無い、だから槙島とは違うと朱は考えていましたが本当に正しいのでしょうか。というのもこれに対して狡噛が「そんな風に思っていたのか道理で手こずるはずだ」と返しているんですよね。細かいニュアンスは覚えていませんが、大体こんな感じだったと思います。
もし朱の槙島に対する認識が適切なものであれば、その行動もある程度は読めるから逮捕には手こずるどころか容易になるはず。実際には逮捕は容易ではなかったわけですが、そうなったのは朱の認識が間違いだったから。槙島がどの様な人間であったのか正確なところは分かりませんが、支配欲のある人物ではないと少なくとも狡噛は感じているから、朱の言葉に対してあの様な返答をするのだと思います。
かつて狡噛は槙島のことを「他人の精神を支配し影響を与え、まるで音楽を指揮するように犯罪を重ねていく男」と捉えていましたが、それが間違いであったと現在は考えているのではないでしょうか。槙島は他者を扇動することはあっても自分の所有物にはせず、自らの意思により決断出来る人間に興味を持ちましたし、そうした行動からは支配欲があるとは個人的には思えないですね。