アニメごろごろ

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主人公達の両親が描かれないことにどう理由をつけるか

アニメやラノベでは主人公達の兄弟や姉妹が登場することはあっても、彼らの両親が描かれないことが多々あります。これが日本とは文化の異なる世界であるなら別に変でもありませんが、一般的な日本の高校生が主人公なのに両親がいないとなると話は別。主人公が一人暮らしをしているならまだ分かりますが、同居していても両親の姿が描かれなかったりするあたり謎。まあ両親がいると作品の雰囲気を壊しかねないので、これは仕方ないことだと思います。

灼眼のシャナ」や「惑星のさみだれ」や「魔法先生ネギま」のように、両親含む大人という存在が物語の中で大きな役割を担うのでもなければ、物語展開上邪魔になる時も多いですからね。もし両親がいたら美少女と同居してラブコメしたり夜中に外出して戦ったりすると、両親がそのことについて苦言を呈さなければならなかったりと色々面倒なことになりますからね。「ハイスクールD×D」とか普通にそうしたことをやる作品もありますが。

その他諸々の理由で基本的に両親を描かない作品は沢山あり、その中には両親が登場しないことに納得出来るだけの理由があるものもあります。代表的なのは実家からでは通学が困難なので主人公が一人暮らしをしている、両親が何らかの理由で他界しているとかですね。

一応言っておきますが、こうした納得出来る理由が無い作品が駄目だと主張する気はありません。その程度で作品全体の面白さが損なわれたりはしませんしね。ただやっぱり両親の不在を物語と上手に結び付けられているものの方が、作品の構造としては見ていて面白いとは思います。

アクセル・ワールド13 ―水際の号火― (電撃文庫)

アクセル・ワールド13 ―水際の号火― (電撃文庫)

そうした意味での面白さが別格だなと感じる作品が「アクセルワールド」です。
作品について簡単に説明すると、苛められっ子で学校に居場所の無かったハルユキはある日、黒雪姫からブレインバーストという謎のアプリケーションソフトをインストールされます。それによりバーストリンカーとなったハルユキは加速世界で敵と戦いながら成長していき、次第に仲間も増えて新しい居場所を手に入れていきます。

それでは本題に移ります。ハルユキの両親はハルユキの幼少期には共働きをしていました。現在は離婚していてハルユキは父親とは別居、母親は仕事で忙しいので家にあまりいません。これが作中に両親が殆んど登場しない理由になります。これだけなら似たような作品は幾らでもありますが「アクセルワールド」は一味違います。この両親とあまり接していないことが、ハルユキがバーストリンカーになれた理由にもなっているんですよね。

ブレインバーストのインストールを成功させるには条件があり、その一つが生誕後まもなくからニューロリンカーを使用していることなんですが、このニューロリンカーをハルユキが使用することになった理由が共働きの両親が育児にかける労力を削減する為です。

もし両親がハルユキの側にいればバーストリンカーにはならず、両親と接する時間も増えた事で愛情に飢えることも無かったのでしょう。けれど両親がハルユキの側にいられなかったおかげで、バーストリンカーとなり仲間が増えて、両親以外からの愛情を受け取ることが出来ました。

ハルユキに限らずこうした両親との関わりが薄いバーストリンカーは結構いるようです。黒雪姫は家族との仲が冷めきっていますし、ニコも全寮制学校で育てられた孤児です。彼女らは両親からの愛情を十分に貰っていなかったからこそ、仲間との絆を大切にしていてその居場所を守ろうとする。

バーストリンカーが仲間的な繋がり以外に、擬似家族的な繋がりを作っているというのは川原先生も意識して書いているみたいですね。バーストリンカーには親と子という概念がありますし、チユリが楓子のことを姉さんと呼んでいるあたり。「マギサガーデン」だと最初からその傾向が強かったんじゃないかという気がします。

物語が始まった頃は母親があまり登場しないのは、ハルユキや黒雪姫達の活躍を描いていくのに必要ないからと思っていたんですが、物語が進む度にそうではないことが判明していき、むしろ両親が作中でも重要な意味を持っていたと知った時には興奮しましたね。

ハルユキという人間のドラマを掘り下げること、ブレインバーストという道具の仕組み、ネガネビュラスという居場所の価値、これらを両親の不在という要素を軸にして結び付けてしまう川原先生の構成力の高さには驚かされます。