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俺TUEEE系作品の問題点をどう克服するか

「SAO」や「魔法科高校の劣等生」等の主人公が圧倒的な力で敵を捻じ伏せる作品は俺TUEEE系と呼ばれています。理由はいまいち分かりませんが、少年漫画よりもライトノベルに対して使われます。

これの定義については主人公が弱くても敗北しなければ俺TUEEEだとする人もいますし、主人公の凄さを仲間達が持ち上げているものを指したり、主人公が強い作品の中でも自分の気に入らないものを侮蔑の意味を込めてそう呼んだり、チートハーレムがあるものをそう呼んだり、定義は曖昧で人によって違いはありますが、大凡最初に述べたもので通じているのではないかと思います。

俺TUEEE系作品では強過ぎる主人公が敵を倒す姿が読者に爽快感を与えてくれますが、主人公が強過ぎる為に緊張感のある戦いや成長を描き難いという問題があります。それ故に逆境を乗り越え努力して勝利することにカタルシスを感じる人達からは俺TUEEE系作品の作風は批判される事が多いんですよね。

主人公の努力が感じられない「SAO」よりも苦戦しながら成長している「アクセルワールド」の方が好みの川原礫ファンは結構見かけましたし、主人公の強さを平均値より大幅に上回る設定にしていると、この批判から逃れることは困難な事だと思います。まあそれでも売れる作品や面白い作品はあるので、それが悪いとは言えはしないんですけどね。ちなみに補足説明しておきますが「SAO」は雑魚が数の暴力やチートを使うから何だかんだでキリトが苦戦しています。

話を先に進めましょう。もしも「禁書」の上条さんのように苦戦して死に掛けてばかりいると戦闘に緊張感は生まれますが、それはもう俺TUEEEでは無くなってしまいますから主人公が苦戦する勝つか負けるか分からない緊張感のある戦いと俺TUEEEの両立は容易ではありません。これが挙げられる問題点の1つになります。

もう1つの問題点は俺TUEEE系作品では主人公が周囲と比較しても相当強い状態から始まるので、成長というものを表現するのが困難な事です。周囲が主人公より格上か同格であれば主人公が強くなった時に、その成長度合いを周囲との比較により感じられるんですけど、主人公を最初から強めにするとその表現が難しいというのは理解して貰えると思うのですがどうでしょうか。まあ成長に関しては戦闘面か精神面かで変わる話ではありますね。戦闘面では最強だけれど精神面での成長の余地は残されていたりとか。

こうした問題の解決策を見せていたと思うのが「問題児たちが異世界から来るそうですよ?」です。主人公の逆廻十六夜は武力知力共に特出していて、並大抵のキャラではその足元にも及びません。「天は俺の上に人を創らず」と平然と言ってしまえる程のチートっぷり。まあ十六夜さんよりも格上のキャラもいるのですが、そこは今回の記事では重要ではないので省きます。

さて「問題児」では十六夜さんが他の仲間達に比べるとあまりにも強い為に、序盤の戦いではもう全部あいつ一人でいいんじゃないかなと思えてしまいます。それだと「SAO」の様に仲間が何人もいるのに主人公のキリトだけが活躍してしまう英雄譚になりそうなものですが、「問題児」は主人公をあえて活躍させない事でそれを回避しています。

「問題児」では主人公がルール上参戦出来ない状態で戦闘が始まったり、主人公一人では対処出来ない大規模戦闘が複数箇所で同時に行われたりと、主人公以外のキャラが戦うしかない場面が多々あります。「ドラゴンボール」のナッパ戦やギニュー特戦隊戦の様に主人公が仲間のところに中々辿り着かないのをイメージしてもらうと分かりやすいかも。

話を戻しますが、戦うといっても仲間は全員主人公よりも弱いので勝利する為には、様々な工夫を凝らし努力するしかありません。主人公に出番がある時は俺TUEEEの要素が色濃く現れますが、仲間の方に焦点が当たると俺TUEEE系作品に不足がちな努力や苦戦や成長といったものが描かれるところが「問題児」の特徴です。他の作品を用いて例えるなら「アクセルワールド」の黒雪姫を主人公にして、仲間をハルユキやタクムにしたような感じでしょうか。

「問題児」ではこの仲間の成長というものが重視され、作中でもこの話が結構な分量になっています。1巻からその傾向は見られますが、3巻あたりからそれが顕著に現れていますね。仲間である飛鳥と耀は自分の無力さを嘆き強くなろうと決意し、十六夜さんは自分の所属するコミュニティのリーダーを育てようと発破をかけたりします。話が進むにつれ耀は新たな力を手に入れ、飛鳥は戦場にいる味方を鼓舞する指揮官としての才覚を発揮し、ジンはリーダーとして相応しい在り様を身に着けます。

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

アクセル・ワールド〈1〉黒雪姫の帰還 (電撃文庫)

俺TUEEE系作品では主人公はその強さを持って全てを解決してしまう超人的な英雄の役割になり易いですが、十六夜さんはそれ以外にも仲間を守り導いていく兄貴や師匠のような役割を担っているんですよね。皆から頼りにされる十六夜さんの存在が仲間にとっては目指すべき目標となり、そこに追いつこうとして仲間の成長物語が駆動するようになります。「ログホライズン」のシロエとミノリの関係もこれに近いと思います。主人公が仲間から尊敬されたり目標とされると、主人公の偉大さが際立ち最強系主人公としての格も上がるので一石二鳥。

絶望的な状況を打開したりとここぞという場面で活躍する十六夜さんですが、目立つ舞台にいることよりも裏方に回ることも結構あるので、それのおかげで仲間の見せ場が作られるようになり、主人公による俺TUEEE以外の戦いが見られるようになっています。主人公は奥の手として見せ場は最後の方まで残しておき、それまでは仲間の戦いで場を盛り上げる。

これは主人公が敵を圧倒するという俺TUEEEの魅力を残しながら、俺TUEEE系作品に不足がちな成長や努力を補う形として1つの完成型だと思います。この形式は最近ライトノベルではじわじわ増えているみたいで、まだ読んではいませんが「空戦魔導師候補生の教官」もそれに当たるのではないかと。


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