アニメごろごろ

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「ガッチャマンクラウズ」最終回 感想と考察

群集の善意には期待しない累の作戦
好き勝手に暴れるクラウズ達を行動不能にする為に、累が取った戦略は今迄とは明らかに異なります。
以前の累は正義感の強い限られた者にだけクラウズを使わせ、彼らの見返りを求めない善意に期待していましたが、最終回ではそうした選別はせず立川CROWSゲームに参加すれば誰でもクラウズを使えるようにしました。
クラウズを使いミッションクリアした者にはポイントという形で見返りを与え、ユーザーはランキング順位を上げる為にポイント稼ごうとミッションを受けるようになる。ここで面白いのがミッションを受けるユーザーの動機が必ずしも正義感によるものではないところです。ランキング上位になりたいから積極的に人助けをしたり、ゲームが楽しいから参加したりとその動機は色々。


昔の累であればああいう人達にはクラウズなんて使わせなかったでしょう。自分と同じ理念を持つ人達とだけ組んで世界を変えるのが昔の累だとすれば、自分とは違う価値観を持つ人達を誘導して世界を変えるのが今の累。皆が自分と同じような善人になってくれるのを期待するのではなく、自分と皆は違うことを受け入れそれでも上手くやる構造を作り出す。
累の最終目的自体は変わっていないでしょうが、その為の手段が大きく変わりましたね。


余談ですが累のあの作戦が成功したのは実はODさんの功績が大きいのではないかと思っています。
もしODさんがカッツェをぼこぼこにして時間稼ぎをしていなければ、立川CROWSゲームが盛り上がる前に妨害をされていたでしょう。ブログの炎上とかと同じで皆で盛り上がる祭りの流れが完成すると潰すのは難しいですが、祭りになる前であればその流れを潰すのはそう難しくないので。カッツェはODさんとの戦いで負傷してしまい、祭りを止める機会を失ったところはあるんじゃないかなと思います。



クラウズのいる世界でどう生きるか
カッツェとの戦いが終わった後もクラウズが残るというのは面白いですね。
クラウズという便利な道具が普及してしまうと無くすことは出来ない。これは現実においても同じだと思います。インターネットを扱う人達が増えたことによって数多くの事件が起きていますが、だからといってインターネットの無い社会に戻れというのは無理。
新しい道具の普及により新たな社会問題が生まれていく。それは避けることは出来ないので、その問題とどう向かい合うかが重要になります。文明発達による社会構造の変化とそれに対する適応ですね。単純にクラウズもカッツェもいなくなり平和になりましたという終わり方にしなかったのは、そうした現実社会における問題を訴えようという意図があったのかもしれません。


あと菅山首相が2016年になってもまだ首相をしていられるのは何気に凄いことですよね。しょっちゅう首相が変わる日本において、あれだけの事件が起きると責任をとらされて辞めさせられそうなものなのに…そうならないのは支持率がそれなりに高いからなんだろうなぁ。菅山首相が「この国のリーダーは私だけじゃないからね」と言った時に記者団が不安そうな顔をしていたのが印象的でした。
国民の意見をしっかりと聞く首相は民主主義の日本のリーダーとしては正しいのかもしれませんが、他人の意見ばかり聞くのは自分の考えがなくリーダーシップが不足しているとも取れるので、そうしたところを記者団は心配しているのかも?