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「SAO」と「ログホラ」システムの仕様による世界の差異

自殺島 1―サバイバル極限ドラマ (ジェッツコミックス)

自殺島 1―サバイバル極限ドラマ (ジェッツコミックス)

無人島でのサバイバル。穏やかな日々が一遍し、秩序の無い生きるか死ぬかの環境に立たされる。「漂流教室」に「7SEEDS」に「エデンの檻」に「漂流ネットカフェ」などエロやバイオレンスが含まれることも多く、昔から一定の需要があるジャンル。この系統の物語の派生として仮想現実を舞台にしたサバイバルがあります。

最近の人気作品では「ソードアートオンライン」「ログホライズン」がその要素も持っていますよね。まあサバイバルではなくファンタジーの要素の方が圧倒的に強いですが、そういう要素を多少なりとも含んでいるので、記事ではサバイバルものの一種と定義していると捉えて下さい。

それではオンラインゲームの世界に閉じ込められた主人公が魔物と戦い生き抜く「ソードアートオンライン」と「ログホライズン」、両作品の相違点はどこにあるのかを考えていきます。ここではぶっちゃけサバイバルと関係ない比較も出てますが、その辺は気にせず読み進めて下さい。比較部分はSAO2巻とログホライズン異世界の始まり下までを範囲に行います。



戦闘システムの違い

「SAO」
技を使うとシステムのアシストにより勝手に身体が動き、技の発動中は素人でも綺麗な攻撃が可能となりますが、代わり硬直時間が発生し隙が出来るので技だけに頼れない。魔物にも硬直時間はあるので、それを利用する事が仲間との連携において重要となる。

仲間と協力せずに単独で戦闘をする方が経験値稼ぎなど効率が良い部分もある為にキリトのようなソロプレイヤーもそこそこ見られる。ゲームにはプレイヤーが自由に選べるスキルはあるものの、戦士や魔法使いといったクラスが存在しない為にプレイヤー毎の基本的な性能差は少ない。技量と度胸があれば誰でも単独での戦闘が十分に可能。


ログホライズン
ゲームの世界に閉じ込められてからは、パソコンの画面を通してフィールドを俯瞰しながらプレイしていた時と違い、VRMMOと同様に自分の目で見るので視界が狭まり、背後に立つ敵や頭上の敵が見えなくなる。作中では一般的なオンラインゲームから実際に身体を動かす戦闘に変わったことの変化が細かく描かれている。

クラス毎の性能差が非常に大きく癖がある為に単独での戦闘、特にプレイヤーとの単独戦闘は相性で勝敗が左右されてしまう。安定して勝利する為には異なるクラスの仲間との協力と戦術が重要になる。


ゲーム好きの人なら分かるはずですが、戦闘システムはゲームの世界観を表現する要素の1つ。例えば同じSRPGでも割とほのぼのした雰囲気の「サモンナイト」は戦闘中にキャラが死んでも次の戦闘では復活するのに対し、多くの兵を連れて戦争をしている「ファイアーエムブレム」では戦闘中に死んだキャラは二度と使えなくなります。これにより「ファイアーエムブレム」はゲームの難易度を上げるだけではなく、殺し合いをする戦争のシビアさを演出しています。この様にシステムの在り方は雰囲気に影響を及ぼします。

ゲームの世界を舞台にした作品においてもそれは変わりません。チート性能と呼べる程に強いキリトさんがヒロイン達を助ける姿が見所の「SAO」では単独でも戦う事が出来るのに対し、無秩序な世界に新たな秩序を創り出す「ログホライズン」では戦闘においても協調性が必要とされている。この様にそれぞれ作品の方向性に合わせた戦闘システムになっており、作品の雰囲気作りに一役買っています。



生と死の扱い

「SAO」
ゲーム内の死は現実の死。ゲームをクリアすれば現実世界に戻れるが、死のリスクが付き纏うので積極的にクリアしようとしない者も多い。戻れる希望がある反面、ゲーム内で生活する踏ん切りがつかない。

開発者の茅場がゲーム内の死を現実の死にした理由は「命は軽々しく扱うものではない」。茅場は現実世界を超越した世界を求めていますが、何でもありの世界は求ていません。理想の現実を求めた茅場にとって死がない世界は、現実ではなくそれこそ遊びの世界と変わらない。

ゲームの中で感じているものはシステムに作られた偽物ではあるものの、そこにいる自分達の心は本物であり現実と何も変わらない。ゲーム内で生活していたキリトにとっては今いるゲームの中が唯一の現実。自分が現実であると認識した場所こそが現実であるという事が語られています。


ログホライズン
デスゲームの「SAO」とは違いゲーム内で死んでも蘇生するが現実世界に戻る方法が不明。その為にゲーム内では生活する方法を模索する事を迫られます。現実世界に戻れるのかといった悩み等はあまり描かれておらず、ゲームの世界でだの様に生きるのかに焦点が当てられています。

生きるとは単に死なない事を意味せず、尊厳を踏み躙られず人間らしく生きるという事。不死身設定にする事でその点に注目させる構造になっています。生の実感を得ていない人達を生きるか死ぬかの極限状態に置き、生の実感を得させる「自殺島」等とは逆の構造。人としての尊厳を奪う例として作中では女性プレイヤーに対するセクハラなどがあります。

上記の文章を読めば主張は何となく察して貰えると思うので細かい説明は省きます。違いではなく共通点として触れておきたい事があるので、ここからはそれについて語っていきます。その共通点は両作品とも食事について描かれているという事です。

食事は娯楽と違い生きる為に毎日必要な極めて動物的な行為ですが、より美味しいものを目指し工夫が施されてきたものであり人類の進化が見れる行為でもあります。「SAO」では超高級食材が登場し、「ログホラ」では資金集めの鍵とされ超重要な要素となっています。

食事はただ空腹を満たすだけのものではない事が両作品に描かれているのは興味深いです。「SAO」はそこまでではないですが、「ログホラ」では今迄当然のように享受したきたものの有難みを考えさせるシーンが多い。これは無人島等の不便な環境に主人公達が置かれる作品の特徴の1つだと思います。

「SAO」はSF、俺TUEEEものとしての色が強く、「ログホラ」では群像劇、サバイバルものとしての側面が強く、似たような設定の作品ですが、その面白さは全く別のところにあります。作品を比較しながら読むと様々な違いに気付く事が出来るので、それぞれどういった作品なのかを理解する為にも比較して読んでみるのも楽しいですね。


「ソードアート・オンライン オーディナル・スケール」忘れ去られた弱き者の悲痛な叫び - アニメ見ながらごろごろしたい