アニメごろごろ

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「SSSS.GRIDMAN」人を信じられない孤独な神様

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ウルトラマン仮面ライダーに代わり、メタルヒーローが脚光を浴びた時代に生まれた平成のヒーロー「電光超人グリッドマン」。

ジャンクの様に人々の記憶の隅に置かれていた作品が、特撮からアニメへ舞台を変えて新作「SSSS.GRIDMAN」として甦りました。

90年代を想起させる要素が詰め込まれた映像と物語は魅力的ではありますが、その点を除いても惹き込まれる素晴らしい作品でした。

特にOPとEDは完成度が高く「SSSS.GRIDMAN」が、どの様な物語であるのかを的確に表現していたと思います。その映像と歌詞を見れば分かる通り、物語の主軸は新条アカネの救済。

本稿では物語の中心に立つアカネに焦点を当てながら、「SSSS.GRIDMAN」の感想を述べていきます。

 

スーパーロボットVS怪獣

他者を恐れて自分の殻に閉じ籠り、理想の世界を作り上げる為に、破壊と再生を繰り返す。響裕太の言葉を借りて言えば、新条アカネは歪み過ぎた神様。

ドラえもん」の独裁スイッチを使う様に、人でも物でも気に入らないものは片っ端から捨ててしまう。アンチに対しても勝てば優しくするけれど、負ければ厳しくあたります。世界の創造主にとってあらゆるものの価値は、自分の役に立つか立たないか。

 

アカネ「この街はさあ、余計なものだらけだよね」

 

自分の尺度で測ってしまい、ジャンクショップで販売される中古品の数々の様に、別の人が欲している価値あるものとは考えません。アカネが必要としているものだけが、世界に存在することを許されます。

そうした役に立たないものを消し去る感性では、ラムネ瓶に使われていたビー玉も、手元に残しておきたい美しい玉ではなく、無用なゴミにしか見えないことでしょう。

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自分の解釈を正解と思い込み、他者の解釈を拒絶する。オタクにありがちな視野の狭窄は、アカネがグリッドマンを相手に戦う際にも見て取れます。

グリッドマンを目の敵にしているのは、怪獣を退治するヒーローであるからだけではありません。アカネが酷く気に入らないのは、グリッドマンウルトラシリーズの流儀に反した闘い方。

 

アカネ「何、あの剣。あんなのズルいじゃん!」

アカネ「もうただのロボットじゃん。そんなのに私の怪獣は負けないから!」

 

最近は少し違ってきていますが、基本的にウルトラマン素手と光線で戦うヒーロー。大剣を振り回したり、重火器を使用したり、メカと合体したりはしないものです。

所謂スーパーロボット的な闘い方をしてくるグリッドマンは、ウルトラシリーズを愛するアカネからしてみれば、ヒーロー道から逸脱した卑怯者に見える。そこの解釈が違うから、あそこまで腹を立てるのでしょう。

その意味でグリッドマンは許しがたい相手ではあります。けれども彼がウルトラマンという怪獣退治の専門家ではないからこそ、アカネをフィクサービームで救えた点は覚えておきたいですね。

 

複雑で繊細なアカネの心

綺麗に保管されたフィギュアと乱暴に放置されたゴミ袋。先程述べた話や混沌とした部屋に象徴されるように、アカネは1か0の極端な行動が目に付きます。

その様子は精神的に不安定で危うい人にも思えるでしょう。しかしながら、それはアカネのほんの一面に過ぎず、彼女は横暴に振る舞う一方で普通の人になろうともしています。

 

裕太「何で神様が普通の都立校に通っているんだろう」

 

集団行動が性に合わないことを自覚しているのであれば、最初から学校を壊せば済む話。上辺だけの笑顔を無理に作って、クラスの人気者を演じる理由も皆無。

それにも関わらず、アカネは世間の目を気にするように、自分の性格に合わないリア充を演じる道を選んでいます。わざわざ自分で作り出した創造物を相手に笑顔を取り繕い、癇癪を起こしても人前では表に出しません。これは楽に行えることではないですよね。

アカネ用に難易度が下げられたイージーな虚構の世界の出来事とはいえ、アカネなりに学校生活をそつなく過ごす為に努力している事実は忘れてはならないでしょう。 

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上記の行動が意味していることは、自分の殻に引き籠りながらも、他者とコミュニケーションを図る気があること。最初から他者を拒絶している訳ではありません。

心の底では他者を求めてやまない。自分を肯定してくれる理想の友達が欲しい。それ故にアカネは自分の暴挙を知って尚、自分を拒絶しない六花を特別に感じていました。学校で会話する機会は少ないですが、六花の側は掛け替えのない心の拠り所。

但し、思い通りに動かせるリカちゃん人形と違い、六花には六花の意思があるので、アカネが望んだ反応を常に返してくれるとは限りません。実際、アカネの懇願を振り払い、バジャックが見せる夢から目を覚ましています。

相手を大切に想っている為に、相手の意思に反する行動も起こせる六花。しかし、肝心のアカネには六花から拒絶された風に感じたらしく、精神的に追い詰められていきます。

 

はっす「言えないってことは言わないってことを六花なりに考えたんだよ」

なみこ「よくそんな風に考えられるね」

はっす「まあ友達だし」

 

相手が何を考えているのか分からなくても、相手に事情があるはずなので何も聞かない。アカネに欠けていたのは、はっすのような友達を信じる心でした。その心を持たない所為で、自分の好意を素直に受け取らない人は敵に見えてしまい、不安で心が押し潰されてしまう。

アカネが短気な性格を隠して、笑顔を絶やさない理由の一端には、上記の他者に拒絶される恐怖が原因にあるのでしょう。巨乳美少女という仮の姿を作る程に、自分に自信を持てないアカネは、そこまでしなければ怖くて生きられない。

その様に考えていたのでしょうが、本当は必要ないことでした。皆に愛される奇跡みたいな女の子にならなくてもいい。人は万能ではないのだから、辛い時は人を頼ればいい。別に弱くても生きていていい。

そんな当たり前の現実に気が付かせてくれた友達が六花でした。アカネが卑怯で臆病で弱虫であるとしても優しく受け入れます。取り返しのつかないことをしてきたバカな神様も許します。

六花はアカネを許せる明確な理由を十分に持たず、アカネに向ける好意が設定であると告げられながら、それでも自分の感情を信じてアカネを救う為に足を止めませんでした。作り物の心でも構わないと断じる心の強さ、その点は誰にも負けていないでしょう。

 

六花「だから私達を頼って欲しい。信じて欲しい。その為の関係だから」

 

最終回でアカネは六花に心を開き、本当の友達になりました。それは視聴者が待ち望んだ光景ではありますが、EDの「君が待っていなくても走るよ」が告げていた通り、友達になった瞬間にアカネと六花の関係は終わりを迎えます。

神様のアカネは六花の世界に干渉してはなりませんし、六花はアカネを現実の世界に帰してあげなければなりません。限りある命を持つ者の可能性、それを虚無に落とさない為に前に進む。神様の罪は人に裁けるものではないので、罰を受けられない代わりにアカネは六花の「お願い」を聞き届けます。

 

六花「私はアカネと一緒にいたい。どうかこの願いがずっと叶いませんように」

 

永遠に側に居て欲しいけれど、大切な友達だから別れなければならない。矛盾した感情を抱えながら、アカネを送り出す六花の姿に心を打たれます。寂しい終わり方でしたが、とても愛に満ちた物語でした。

 

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